外交評論家 磯村 尚徳さん

ph_201308_01.jpg 磯村 尚徳さん
 テレビの本放送開始の1953年にNHK入局。大手新聞社数社の内定を断って、NHKを選んだのは「早く海外に出られる」と思ったから。
「NHKの報道機関としての歴史は終戦後。上がつかえていなかったので、海外勤務のチャンスも早く巡ってくるだろうと考えました。」
 その思いは入社1年目にして実を結ぶ。フランス語が堪能なことから、インドシナ特派員に抜擢されると、その後も中東、パリの特派員を歴任。ワシントン支局長、欧州総局長なども務め、38年間のNHK勤務のうち半分を海外で過ごした。
 1974年4月に始まった「ニュースセンター9時」で、初代キャスターを務める。当時の主流だった、記者の書いた原稿をアナウンサーがただ読み上げるスタイルを一新。現在の報道番組に通じる「自分の言葉で語るニュース」の原型を作った。
「日本語は、話し言葉と書き言葉が明らかに違う。会話をするように、自分の言葉で話さないと伝わらない。」
 NHK退職後は1995年から2005年まで、パリ日本文化会館初代館長を務めた。大小約3000のイベントを企画し、日本の文化をフランスに紹介。日欧の架け橋としての活動が認められ1996年に、フランス大統領よりレジオン・ドヌール勲章オフィシエ賞を受賞している。
 1975年に発表したエッセイ『ちょっとキザですが』(講談社)がベストセラーに。その収入で軽井沢に別荘を建て、毎年ゴールデンウィークと夏場を中心に滞在。講演準備の資料読みや原稿執筆の合間をぬい、趣味のゴルフへ出かける。
 ペット遺棄防止の啓発、正しいペットの飼い方を広める「軽井沢ペット福祉協会」の会長。夏の終わりに、軽井沢にペットを捨てていく人が後を絶たないことに心を痛めている。
「ペットの遺棄は非人道的。国際的な町を目指す軽井沢にとってもマイナス。これからも啓蒙活動を続けていきます。」
 この8月で84歳。お酒もタバコもたしなむが、これまで大きな病気を患ったことはない。
「NHK時代は人間関係にも恵まれ、気を使わずストレスを感じずに過ごしてこられたのが、元気のもとかもしれません。」
 太陽のような大きなほほ笑みと、人を引き込む軽快な語り口調は、キャスター時代のままだった。

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