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軽井沢人物語

被災した故郷を憂い、哀悼、悲憤の思いを作品に込める

画家 大山 美信 さん

ph_201302_01.jpg 大山 美信 さん
 福島第一原発に近い福島県田村市出身で、2008年より軽井沢で暮らす。  東日本大震災により、思い出の場所が変わり果てた姿になっているのをテレビで見て唖然とした。福島に住む友人らと手紙や電話でやりとりを重ねるうち「犠牲者への哀悼と、ぶつけようのない悲しい怒りを作品に込めようと思った」。
 軽井沢では初めてとなる個展を昨年10月に開催。「レクイエム」と題し、墨汁やアクリル系の溶剤で、3・11後に描いた抽象画30点を展示した。原発を中心にした警戒区域、計画的避難区域を示す円をモチーフにした作品や、人が呆然と立ち尽くす場面を思わせる作品などが並んだ。
「絵を分かる、分からないは別として、記憶に残ってくれた
人がいれば嬉しい。個展は、自分で自分の作品を一度に見られるのがいいところ。こんな贅沢なことはない」
 幼い頃より、絵を描いている間は、時が経つのを忘れられた。初めて絵描きを志したのは中学時代。作品がコンクールに入選するのは、初めは嬉しかったが、賞を意識して描いているようで段々厭になった。
「他人の評価やコンクール入選は、あくまで一つの手段であって、目的にはしたくない。この考えは今も変わっていません」
 高校卒業後に美術を学ぶため上京。入学した文化学院では「へんてこな先生に出会えたのが良かった」。
 とりわけ、同学院で講師をしていた洋画家の村井正誠(まさなり)さんには多くを学んだ。人物画を描いても、バランスや質感などを細かく言う他の先生と違い「人間というのは、切ると血が出るんだよ。君の描く人間は風船のようだね」と指導してくれたのが忘れられない。
 卒業後は東京、埼玉、福島を中心に個展を開き、作品を発表しながら、母校の文化学院で教鞭を執った。1996年より12年間は、同学院芸術専門学校の校長も務めている。
「絵画の制作に没頭したい」と、定年後に東京を離れ、弟が住んでいた縁で軽井沢へ。当初は長い年月を過ごした東京を離れることに名残り惜しさもあったが、今では「軽井沢の光、空気が、都会で渦巻いていたもやもやを飛ばしてくれた。最後までここで描きたい」。
 今秋の個展に向け、午前と午後に約3時間ずつ、「レクイエム」第2弾の制作に取り組む。アトリエの目立つ場所には、紙に墨で書いた「体露金風」の文字。木の葉を吹き払った秋風のように、煩悩妄想がなく、無心ですっきりした心境を表す禅の言葉。単純に、自分の描きたいものを描きたいように。この信念だけはこの先も変わることはない。
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