2016年は「軽井沢・避暑地130周年」

軽井沢が見える万華鏡 №28

20151209_181637.jpg Asako Hirooka
 2014年に引き続いて、2015年のNHKテレビ小説も軽井沢にゆかりの女性がモデルとなっている。
伝説の女性実業家といわれるその人、広岡浅子は日本女子大学の創設に力をそそいだことでも知られる人物。三井財閥第6代当主の娘として生まれた浅子は、軽井沢にある三井家(所有者三郎助は浅子の弟)の別荘を訪れ、日本の女子教育のパイオニアとなる成瀬仁蔵を8代当主の三井高景(三郎助)に紹介している。それがきっかけとなり三井家は女子大創立のために資金や土地を援助した。明治後期に建てられた三井三郎助別荘は、今も旧軽井沢の木立の中に残っている。日本人が建てた軽井沢で最古の洋館別荘だ。インドの詩人タゴールや西園寺公望が訪れ、新館には皇太子(現天皇)の英語教師、バイニング夫人が泊まったこともあるなど歴史の物語が伝えられている場所でもある。
 洒落た造りの白い室内には浅子と成瀬と三井家の人々が一緒に撮った写真が飾られている。写っている籐イスが、今も廊下にあるのが何とも不思議な時の流れを感じさせる。所有者が代わりながらも、100年経ても残っているというのは「奇跡」である。売却されず残っているのは、現在の所有者が「これは軽井沢の文化遺産」ということを理解しているから。かなり老朽化しているので、1日も早い保存の対策が必要だ。
 2014年に軽井沢新聞社では村岡花子ゆかりの別荘見学会を行ったが、倍以上も定員オーバーとなったため開催日を1日増やした。『アンと花子』に登場する校長・ブラックモーアの別荘はヴォーリズ建築だったが、数年前に売却のため壊された。参加者たちは跡地で写真を撮り、「建物があったら...」と残念そうだった。
 木造建築であっても現代の建築技術では保存することは可能だ。むしろ使わなければ朽ちていく。軽井沢の歴史的別荘には宝物が詰まっている。調べれば調べるほど色々な人物と物語が出て来る。その人物たちが意外な所でつながって、他の市町村ではあり得ない物語が編まれている。文化遺産は町の財産として保護しなければいけないと多くの人々が思っている。新しいものを造っても、宝物のような物語はすぐには生まれて来ない。軽井沢ならではの別荘建築を次世代につなげることを、手遅れにならないうちに行政は考えるべきだ。2016年は「軽井沢・避暑地130周年」にあたる。

関連記事