軽井沢ウェブ

軽井沢の天気やグルメ・観光に役立つ情報なら軽井沢ウェブ

メニュー
軽井沢新聞 スペシャル

「避暑地軽井沢」130周年記念 ~夢の座談会~

時の流れを超えて、あの歴史的有名人が語る

※歴史上の人物が今の軽井沢を見たら何を語るでしょう。
歴史をたどり、現代を知る架空の「聞いてみたい」座談会。
(注)事実に基づいたフィクションです。
私が来てからもう130年!

マリン 本日、お集まりいただきましたのは、『軽井沢ヴィネット』(軽井沢の高原誌)の中で 人間国宝"ならぬ"人間カル宝に選ばれた方たちです(詳しくは『軽井沢ヴィネット』2016年上巻118号参照)。皆さん、はるばる時の流れを超えてお集まりいただき、ありがとうございます。この夏で、軽井沢は避暑リゾートとして130周年ということになります。

ショー えっ! 130周年?

ノーマン そうですよ。ショーさんが軽井沢で避暑生活をしてから130年が経ったということですよ。

ショー ほぅ、130年も経ったとは...(感慨深い様子)。私が軽井沢へ来た頃は、寂れた宿場町でした(※編集部注・横川まで鉄道が通ったために、中山道・軽井沢宿を歩く旅人は激減した)。でも、風はさわやかで自然は美しく、夏は家族とここで過ごそうと決めました。清涼な空気の軽井沢は健康にもいいので「屋根のない病院」と呼び、友人たちにも勧めたのです。

マリン その頃、樹木は少なかったようですが、今の緑美しい風景を作り上げたのは雨宮さんと野沢さんの功績ですね。

雨宮 アメリカで大農園を見て日本にも造ろうと思い、ブドウ栽培などを試みましたが、この寒冷地ではことごとく失敗し、最終的にカラマツを植えました。カラマツは軽井沢の土壌と気候に合っていたんですね。植林事業は成功し、緑豊かな高原の風景を作り上げました。

マリン 野沢さんが別荘分譲を始めたのは大正時代ですね。

野沢 大正4年。軽井沢で大規模な別荘地分譲を始めたのは私が最初です。ただ別荘地を売るというのではなく、快適に過ごしてもらうために樹木を植え、雲場池を整備し...

マリン スーパーもあったって本当ですか?

野沢 買物ができるようでなければ暮らしに困りますから、野沢原にマーケットを造りました。

ノーマン 私も覚えています。皆さん便利に買物していましたよ。そうそう、野沢さんは「通俗夏季大学」を建てましたね。

野沢 私は建物を建てて寄付しただけで、新渡戸稲造さんと後藤新平さんが運営されていました。

 そういう文化的なところが軽井沢の魅力でした。当時、日本ではなかなか売っていない洋書も軽井沢なら簡単に手に入りました。私はよく、旧軽井沢メインストリート(※旧軽井沢銀座)で買ったものです。

マリン その通俗夏季大学は今も『軽井沢夏期大学』として続いています。建物があった場所にある日本大学研修所でも『夏期講座』を一般公開しています。

野沢 ホントですか、今も続いているなんて!それを聞いたら新渡戸さんも後藤さんも大喜びでしょう。

「軽井沢力」があるんですよ

マリン 野沢さんは晩年、軽井沢で長い期間暮らしていたそうですね。

野沢 はい。洋風建築をアメリカで学んだ橋口信助さんの「あめりか屋」と組んで徳川家や細川家などの別荘を造りました。気苦労も多かったので、晩年は軽井沢でゆっくり過ごすことにしました。山桜の季節から楓の紅葉、カラマツの散る晩秋、と季節ごとの自然の移ろいが感じられる軽井沢で過ごしたので、91歳まで生きることができました。軽井沢にはこうした自然の持つ力があるのです。

ノーマン そうですね。この「軽井沢力」は何年経っても大切にしてほしいのですが、最近は力が弱くなっているという声も聞こえるので心配しています。

マリン ノーマンさんは「軽井沢の村長さん」と親しまれ、「ノルマンさん」と呼ばれていましたね。

ノーマン ノーマンではなくノルマンと呼ぶ人が多かった。仲間たちと軽井沢避暑団(別荘団体「軽井沢会」の前身)を作って、健康的な避暑地を築きました。「娯楽を人(女)に求めず、自然に求めよ」という、スローガンもあるんですよ。

マリン それは、軽井沢では今も有名な言葉です。堀さんはそんな軽井沢へやって来て、どう思いましたか。

 大正12年に室生(犀星)先生に連れて来てもらったんですが、西欧のような雰囲気にびっくりしました。作品を書くつもりで来たんですが、室生先生や芥川(龍之介)さんと遊んでばかりいました。

マリン 皆さんは軽井沢に貢献した方として「人間カル宝」(国宝ではなく、カル宝)に選ばれましたが、今の軽井沢をご覧になっていかがですか。では、ショーさんから、どうぞ。

ショー あの寒村がこんなに発展してにぎわっているので驚いています。

野沢 別荘もこんなに増えたけど、住宅のように密集するのはいかん。緑の中にポツンポツンと点在する風景が軽井沢の別荘地の原点ですぞ。やはり清澄な空気や樹木の美しさは大切にしてもらいたい。

雨宮 私が植えたカラマツは北原(白秋)さんを感動させて『落葉松』という詩が生まれたそうじゃないか。

マリン 曲もできて、文学碑も建っています。三笠通りのカラマツ並木は日本の美しい並木道としても有名よ。

雨宮 おお、そうか!それなのに、最近はカラマツやモミは切っていいという人がいるそうじゃないか。

ノーマン それはイケマセン。カナダでは樹木は宝、大切にしています。美しい風景を作ってくれるし、小動物たちには必要なものですから。「軽井沢力」が弱くなっているのはそのせいでしょうか。

雨宮 渋滞もひどくて、空気が汚くなる。

 軽井沢のことは『美しい村』と書いていますから、自然が壊れた『醜い村』になっては困ります。

野沢 別荘地は心安らぐ地であることが第一条件だからね。建物もデザインを考える必要があるだろう。「自然の中に住まわせてもらう」という謙虚な気持ちが必要なんじゃ。

ショー そのとおり。野鳥にも草花にも優しく、自然と調和して気持ちよく過ごせるリゾートとして、150年後、200年後も人々に愛される場所であってほしいと願っていますよ。

P1030057.JPG sho1.jpg nozawa02.jpg amamiya.jpg norman02.jpg hori.jpg
[司会]マリン記者
特技:グルメ取材。苦手なこと:校正。4コマ漫画でおなじみ。今年6月、日本テレビ『ヒルナンデス』に登場。名物記者として紹介されました。




[座談会・出席者]
アレキサンダー・クロフト・ショー(1846~1902年)
明治19年、軽井沢で夏を過ごし、避暑地としての軽井沢を広めたカナダ出身の英国国教会宣教師。明治21年に別荘を建てた。








野沢源次郎(1864~1952年)
大正4年、離山から三度山にかけての土地約200万坪を取得。道路を整備し樹木を植え、環境を整えて高級別荘地として分譲した。








雨宮敬次郎(1846~1911年)
山梨県生まれの実業家。手がけた事業は製鉄、製粉、鉄道等多岐にわたった。軽井沢に約700万本のカラマツを植林した。










ダニエル・ノーマン(1864~1941年)
カナダ人宣教師。32年間長野市に定住し、夏は軽井沢に滞在。軽井沢避暑団の理事長を務め、健康的な避暑地・軽井沢の基礎を築いた。







堀辰雄(1904~1953年)
『風立ちぬ』や『美しい村』など、別荘で多くの作品を著した「軽井沢文学」の代表的な作家。堀辰雄文学記念館内に晩年過ごした家がある。

▼ 紙面を見る

PDF軽井沢新聞1面

PDF軽井沢新聞2面

PDF軽井沢新聞3面

PDF軽井沢新聞4面

PDF軽井沢新聞5面

PDF軽井沢新聞6面

PDF軽井沢新聞7面

PDF軽井沢新聞8面

PAGE TOP