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軽井沢新聞 スペシャル
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Kaleidoscope No.33

雨や風の音と共に楽しむ音楽会

P1030487.JPG Ohaio Chrisutian Univercity Circleville OH.
 8月中旬の旧軽井沢銀座はまるで縁日のようだった。人混みを抜けて駐車場へ戻ろうとすると、ユニオンチャーチから美しいメロディが聞こえて来た。「ご自由にお入りください」と書いてあり、金髪の宣教師がパンフレットを配っていた。米国オハイオ州から訪れ、毎年ここで演奏しているグループだという。
 中に入ると、数人の外国人がヴァイオリンやチェロを手にクラシック音楽を演奏していた。ステージの後ろには窓があり、緑の枝が揺れるのが客席から見える。木造りの素朴な教会の空間に美しい旋律が広がっていく。銀座通りの雑踏に辟易していただけに、心和む気持ちになってホッとした。
 それから数日後、私はこの教会の演奏会に再び訪れた。今年で15周年を迎える『軽井沢国際音楽祭』のコンサートを聴くためだった。この音楽祭で驚くことは、15年間続けて来たこともそうだが、8月中旬から9月上旬にかけて軽井沢の各所でコンサートを行っていることだ。大賀ホールはもちろん、美術館や教会、ホテルのロビーのほかハルニレテラスのような街角でも演奏する。生前、大賀典雄さんがよく話していた「街を歩くと音楽が聞こえて来る軽井沢」を実践しているのだ。
 夕方6時から「たそがれ時のコンサート」と題して、ギターとヴァイオリンの演奏が行われた。第1部の演奏が終わると、突然、雨が降り始めた。「雨の音が大きいため、演奏の順序を変更します」とアナウンスがあり、力強い演奏の曲を先にして、繊細な音楽を後にすることを告げた。「雨や風の自然の音も一緒にお楽しみください」と司会者。立派な音楽ホールなら、外の音が聞こえることはないが、この古い教会だからこそ「自然の鼓動と共に感じる音楽」を楽しめるのだ。いかにも軽井沢らしいシチュエーションではないか。大正時代に設計したW.M.ヴォーリズは、そこまで計算していたのだろうか。ピアソラのタンゴを聴く頃には雨は止み、ギターで演奏する武満徹の繊細な曲はしっかり会場に響き渡った。
 この夏も軽井沢では多彩にイベントが開催された。新渡戸稲造が開校した歴史ある夏期大学をはじめ、様々なジャンルのコンサート、古典芸能、講演会、朗読会、美術展等etc...。文化的なイメージがある軽井沢だからこそ、毎年、質の高いイベントがたくさん行われる。軽井沢に暮らすことで、この恩恵を受けられることに感謝しつつ、軽井沢の文化的なイメージがいつまでも続くことを祈りたい。

Kaleidoscope 軽井沢が見える万華鏡 No.31

桜の木を贈った「憲政の神様」

イラスト02.jpg 莫哀山荘
イラスト01.jpg
 全国的に今年は桜の開花が早かった。例年はコブシが咲いてから桜が咲くという軽井沢の花だよりが、今年はほとんど同時となり、紅白に彩られた美しい春景色を見ることができた。
 米国ではワシントンの桜が有名だが、桜を贈ったのが当時の東京市長・尾崎行雄だったことは意外と知られていない。軽井沢新聞社には尾崎行雄が娘二人を連れてワシントンの湖畔に佇む写真が残っている。もちろんコピーだが、娘の相馬雪香さんからインタビューの際にいただいたものだ。
 尾崎行雄は別名、尾崎咢堂。政治家として選挙で当選26回、勤続63年という世界でも稀有な記録を持ち、献金は一切受けないという清廉潔白な姿勢から「憲政の神様」「議会政治の父」といわれている。軽井沢には古くから別荘を持ち、軽井沢避暑地50周年のときには名誉総裁を務め、式典会場で熱弁をふるっている姿が記録されている。
 尾崎は1875年に、慶応義塾時代の英語教師で宣教師だったA.C.ショーからキリスト教の洗礼を受けた。明治期から軽井沢に別荘を持ったのは自然なことだったのだろう。妻のテオドラ夫人はショーが属した英国公使館の夫人の秘書だったとも伝えられている。
 長年、政治家を務めた尾崎の功績は大きい。中でも重要なのは、大正から昭和前期に軍国主義に傾く日本にあって「軍縮、平和路線」を唱えたことだ。
 当初はタカ派であった尾崎だが、第一次大戦後のヨーロッ
パを視察し、戦争の悲惨さを目の当たりにして、軍縮論者になった。このとき既に欧州は反軍国主義に向かっていた時期だった。 軍国化に反対する尾崎は右翼に狙われることもしばしばだったそうだ。晩秋まで軽井沢の山荘で暮らしていることもあった。
 「戦争は勝っても負けても悲惨な状況をもたらす」とは、尾崎の残した言葉。大戦後の世界の惨状を肌で感じ、日清戦争から太平洋戦争まで経験してきた彼の言葉には真実の重みがある。
 日本を民主主義にするために尽力し、「反戦争、反軍国」を明確に掲げた尾崎のような政治家が今の日本には一人でも多く必要だ。

※別荘は「莫哀山荘」という名がつけられていたが、「莫哀」とは「哀しみのない」という意味。
(軽井沢新聞編集長 広川小夜子)

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