軽井沢は中山道の宿場町 その起点は碓氷峠にあり

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現在の軽井沢は旧中山道の街道沿いに栄えた町。 軽井沢町内には軽井沢宿、沓掛宿、追分宿の三つの宿場町がありました。 その起点となるのが、碓氷峠。 古事記や万葉集の時代から信濃国へと続く道の難所とされ、旧中山道の関所もあった場所です。 かつては宿場と宿場の間にある「間の宿」の峠町もありました。住民の多くが碓氷峠頂上にある熊野皇大神社や熊野神社の神職に携わる人々だったと言われています。


中山道の浅間根腰三宿(あさまねごしのみしゅく)


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現在の軽井沢町には浅間根腰三宿と呼ばれ、三つの宿場町がありました。
旧軽井沢銀座通りとして賑わう道が旧中山道です。
碓氷峠の難所を越えた直ぐ麓にあったのが軽井沢宿。
現在、中軽井沢と呼ばれているところは沓掛宿でした。
ここは主に馬の鞍を変えたところと言われています。
そしてもっとも栄えたのが追分宿。中山道と北国街道の分岐点にありました。


熊野皇大神社


碓氷峠にある熊野皇大神社は長野県と群馬県の県境にある珍しい神社です。
日三大熊野の一つで、伝説や歴史にまつわるスポットや文化財、パワースポットなども数多くあります。樹齢1000年のしなの木は縁結びや開運の御神木として信仰されてきました。
古代から日本武尊にまつわる言い伝えが残っていて、霧で前に進めなくなった日本武尊をヤタガラスがなぎの葉で山頂まで先導したそうです。
そこからヤタガラスもまつられています。


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数多い文化財の中でも必見は「こまいぬ」。 境内へと続く石段の下にあります。 室町時代中期のもので、長野県では最古と言われています。 左のメスは口を閉じていますが、右側のオスは口を開いているので、左右で「阿(あ)」「吽(うん)」となっているのです。


旧軽井沢銀座通りに残る中山道の足跡


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旧軽井沢銀座通りはかつて中山道の宿場町として栄えました。
通りの両脇には本陣、脇本陣、旅籠屋などが立ち並び、峠の難所を超えた多くの旅人たちが立ち寄りました。
今もその足跡は残されています。
その一つが芭蕉句碑。「馬をさへなかむる雪のあしたかな」という句には江戸時代の旅人の様子が浮かび上がります。
また芭蕉句碑とは通りを挟んで反対側にある「つるや旅館」には入口に「中山道軽井沢宿」と石碑が立っています。つるや旅館はかつて宿場の休泊茶屋として開業した老舗。
その後旅館となり、大正時代には芥川龍之介や室生犀星など日本を代表する文豪の定宿となりました。

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