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尾崎行雄の「莫哀山荘」


 尾崎行雄(咢堂)は民主主義確立のために奔走し、軍国主義が
一世を支配したときも、平和を唱え、「憲政の父」と言われた人物。
明治2年、日本初の総選挙で衆議院議員になり、
明治31年の大隈内閣では39歳の若さで文部大臣を務めている。

 夫人のテオドラは日英の混血で、明治20年に来日。
明治23年、英国公使夫妻と共に軽井沢へ訪れた。
尾崎夫妻はA.C.ショーとも親交があり、
大正3年、英国公使別荘近くに別荘を建て「莫哀山荘」と名づけた。
莫哀とは「哀しみのない」という意味。
軽井沢では、いつも馬に乗って楽しむ家族の姿が見られたという。 

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尾崎行雄とテオドラ


尾崎行雄
1858年 神奈川県生まれ。
1890年に衆議院議員となり、40歳の若さで文部大臣に就任。
当選回数、議員勤務年数、最高齢議員記録を持ち
「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれている。
東京市長の時に桜3000本を米国ワシントンへ贈った。
1954年95歳で永眠。


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2012年05月09日 10:58に投稿されたエントリーのページです。

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