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軽井沢新聞 スペシャル
軽井沢新聞 スペシャル

Kaleidoscope 軽井沢が見える万華鏡 No.1

Kaleidoscope

今年の秋も軽井沢は鮮やかな色彩に包まれました。庭にひょっこり姿を現したリコボウを味噌汁に入れたり、きのこうどんにしたり、オリーブオイルとガーリックで炒める「ギリシャ風炒め」も何回か味わい、軽井沢の秋の味覚を楽しみました。軽井沢の山栗は小粒ながら味がいいので、皆さん、拾って栗ご飯や渋皮煮に使っているようです。けれど、なぜか、クルミを拾っている姿はあまり見かけません。落ちたクルミは車につぶされ、道路を汚して無残な姿に...。軽井沢のクルミは味が濃くおいしいので、お菓子作りなどにもっと利用したいもの。軽井沢産のクルミで作ったケーキやタルトは観光客にも魅力的なスイーツにちがいありません。

 甘い話のあとは辛口の話題を。9月に町議会を傍聴しました。まだ、見学したことのない方はぜひ、一度、出かけてみてください。『議会だより』のパンフレットからは窺い知れない会議場の空気や議員の態度、発言などもチェックでき、答える行政側の様子ともどもこれがなかなか面白いのです。自分が1票入れた議員の活躍ぶりをじっくりと観察してみてはいかがでしょう。

 私が初めて軽井沢町議会を傍聴したのは、約20年前。女性が来たというので議員たちは驚いた様子でした。議題が出ると即座に「異議なし!」のひと声で終り議論になりません。これが議会かとあきれたものでした。その頃から比べたら今は数段の進歩です。9月の議会では「まちづくり交付金事業」に関する町役場の答弁に、二人の議員が「私は納得できません!」と喰いついて頑張りをみせていました。

「まちづくり交付金事業」については軽井沢新聞でもアンケート調査を行い、76%の町民が「全町的な説明会が必要」と答えています。ある議員が行った調査でも「77.7%の住民が全町民対象の説明会を希望」と、ほぼ同じような数字が出ています。これだけ多くの町民の声を、議員は無視することができるのでしょうか?

 10月下旬には町議会議員による「議会報告会」が開催されました。今後は報告だけでなく、住民の声を行政に届けるパイプ役としての役割もぜひ果たしてほしいものです。7割以上の住民が持つ不満を解消できるのか、行政ばかりでなく、町議会議員の責任も大きいと感じています。

(広川小夜子 軽井沢新聞編集長)

Kaleidoscope 軽井沢が見える万華鏡 No.2

Kaleidoscope

 「浅間山が三度白くなると麓に雪が降る」と言われる軽井沢ですが、今年はいつもより早く雪が降ったように感じます。3cmほど積もった雪に慌てて、タイヤをスタッドレスに換えました。

 寒さが一段と増した頃、突然の訃報。相馬雪香さんが永眠されたということでした。金力・権力に屈せず"憲政の神様"と謳われた政治家・尾崎行雄の三女。初めてお会いしたのは1985年でしたが、その前向きな考え方と行動に大いに感銘を受けたものです。今年の軽井沢新聞4月号のインタビューでも「必要とあれば、どこへでも出かけて行きますよ」と話され、お元気に第一線で活躍されていただけに残念でなりません。ご冥福をお祈りします。

 その1週間前、やはりご高齢の素敵なご婦人にお会いする機会がありました。パリ在住のジャーナリスト小川美穂さんから電話があり、マドレーヌ・マルローのピアノコンサートが東京であるから、取材にいらっしゃいというお誘いでした。マドレーヌさんは、作家でドゴール政権の文部大臣だったアンドレ・マルローの夫人。なんと94歳の現役ピアニストです。昨年に引き続き、チャリティ・コンサートが開かれ、利益はすべて日本の子供たちのために寄付されるのだそう。お会いしたときはその若々しい姿にびっくり。「若さの秘訣は?」と尋ねると微笑んで「それは音楽です」。何曲も演奏する舞台姿は輝いていました。

 その会場で「夏にはご協力ありがとうございました」という声があり、振り返ると、主催者の一人、近衛さんでした。軽井沢での『エイブル』映画上映会のPRに軽井沢新聞が協力したことを仰っていたのです。さらにその横には昨年の「軽井沢ヴィネット秋冬号」に登場していただいたピアニストの寺田悦子さん。客席には篠沢秀夫教授夫妻の姿も見えます。小川美穂さんは朝吹登水子さんから紹介していただいた方。ご主人のダリウスさんの個展を見に銀座・数寄屋橋の画廊へ行くと、その画廊のオーナーはこの夏、取材した別荘でお会いした方でした。「軽井沢って、こんなにもつながっている!」と驚くことがたびたびあります。

(広川小夜子 軽井沢新聞編集長)

Kaleidoscope 軽井沢が見える万華鏡 No.3

Kaleidoscope

 軽井沢の日本人別荘第1号は八田裕二郎別荘。では、「第2号の日本人別荘は?」それは明治32年建築の三井三郎助別荘です。この別荘がまだ現存していることはあまり知られていませんが、日本人が建てた洋館別荘としては最も古く、和風造りと洋館造りの部分に分かれている珍しい建物。昨年末に、この別荘を見る機会がありました。

 詩人タゴールも泊まったという室内の重厚な造りには驚きました。当時の別荘文化を伝える貴重な建物なので、一時は町で保存するという話もあったそう。なぜ立ち消えになったのか謎ですが、管理の方の話では別の方向で保存を検討しているとのこと。かなり傷んでいるので、一刻も早い補修、保存が望まれます。

 ヴィネット・デリス(当新聞6頁の広告参照)の取材で、「フランスで最も美しい村協会」に認定された「美しい村」を訪ねたスタッフが、村役場の人に「どうやって、美しい村にすることができたのですか」と尋ねると「電線地中化をし、緑を生かし、村の歴史を大切にして文化遺産を保護しました。すると村の景観が個性的になり美しくなったのです」と話してくれました。フランスの「美しい村」が世界中から注目を集めている理由がこの言葉に象徴されているように思います。

 1月中旬、「小江戸」といわれる川越へ。まちづくりの成功例としてあげられる川越は行ってみると「なるほど」と思います。電信柱がなく、蔵造りの家並みが独特の情緒を醸し出しています。しかも「さつま芋」という特産品があるのも強み。この日は寒い冬にもかかわらず、駐車場は満車。店の中もにぎわいを見せていました。



 フランスも川越も歴史を振り返って、その土地の宝物を大切にしています。それを考えると、軽井沢にもたくさん歴史上の宝物はあるし、特産品もある、緑もある。「美しい村」になる要素はいっぱい。あとは活かし方しだいです。

(広川小夜子 軽井沢新聞編集長)

Kaleidoscope 軽井沢が見える万華鏡 No.4

Kaleidoscope

 覚えている方も多いのではないでしょうか。旧軽銀座通りの中心にあった「軽井沢ベルコモンズ」、そのオープンのポスターがリスの写真だったことを。梢に乗ったかわいらしいリスは、軽井沢の象徴として写し出され「OPEN」の文字と共に、軽井沢のあちこちに貼られていました。平成15年には町民から「軽井沢町の獣」として選ばれたニホンリス(ちなみに町鳥はアカハラ、町木はコブシ)ですが、「リスの姿を見かけなくなったわねぇ。昔はたくさんいたのに...」そんな声が数年前から聞かれています。原因は色々あるにしても、軽井沢の林がどんどん伐採されていったことも原因の一つであることは否めません。2月に行われたイベント「リスの痕跡を探そう」(2面参照)に私も参加しました。風越公園周辺の林の中でアカマツやクルミの実をかじった跡をたくさん発見し、「よかった、ここにはまだリスがいる」とホッとしたのでした。リスや野鳥のいる軽井沢の環境は大切にしたいものですね。

 3月上旬、単行本「文学者たちの軽井沢」が刊行の運びとなりました。軽井沢という地が文学とゆかり深いということは取材を通してずっと感じてきたことですが、旅行してみると、地方の小さな町でこれだけ文学者たちが関わっているというのはなかなか無いということに気づきます。作家の別荘がたくさんあることや、軽井沢を描いた作品が多くみられるということだけではなく、作家たちの交流の場として軽井沢は大切な所だったということに大きな意味があります。例えば室生犀星。故郷金沢には養家先となった雨宝院や文学記念館があり、居を構えていた東京都大田区にも足跡が残っています。しかし、犀星がいちばん作家仲間と交流し、楽しい時間を過ごしたのは軽井沢だったのです。軽井沢への思い入れの深さは、故郷金沢からの文学碑建立の申し入れを断り、自力で文学碑を軽井沢の二手橋付近に建てたことでもわかります。

 犀星に限らず、「多くの作家たちにとって軽井沢がなぜ、大切な場所であったのか」を知ることは、軽井沢の魅力を知る手がかりとなることでしょう。

(広川小夜子 軽井沢新聞編集長)

Kaleidoscope 軽井沢が見える万華鏡 No.5

Kaleidoscope

 この季節、軽井沢を訪れる人々の楽しみは新緑。木々の芽吹きが始まると、林の中は柔らかな萌黄色に彩られます。そして、気づくと足元には小さな野の花が...。花屋の店頭でパンジーやヴィオラしか見たことのない都会人は、本物のスミレがこんなにも小さいことや、ピンク・白・濃い紫・薄い紫など何色もあることに驚かされるのです。

 また、タラの芽、ワラビ、コゴミなど山菜を採って味わうのも、この季節ならでは楽しみ。これまた、種類がたくさんあって覚えきれません。最近の私のお勧め山菜はギョウジャニンニク。ただの葉っぱみたいなのに、食べるとニンニクのような味がします。1株分けてもらって庭に植えたら大きくなり、様々な料理に使えるので重宝しています。

 ところで、明治時代、軽井沢へ避暑に訪れた外国人たちは、いったいどんなものを食べていたのでしょう。取材をしてみると、食文化に関しても軽井沢は特別な処だったことがわかります。

 明治21年に別荘を建てたA.C.ショーのクチコミで、友人たちが軽井沢へやってきます。外国人向けに改築した亀屋(万平ホテル)に泊まる人もいましたが、別荘を所有する人も増えていきました。明治26年には外国人別荘が21戸。その前年には、旧道に肉屋が2軒、牛乳屋が3軒、氷屋が2軒できていました。そう、彼ら西洋人は、日本に来たから、信州に来たからといって山菜や蕎麦を食べていたわけではなく、自分たちのライフスタイルをそのまま持ってきていたのです。信州の寒村にすぎなかった軽井沢はたちまち欧風化して、旧軽井沢には肉屋、パン屋が増えていきました。ホテルでは、軽井沢に住む外国人から教えてもらい西洋野菜を栽培したり、豚や鶏を飼って自家製ハムやソーセージを作っていたそうです。

 明治・大正時代の日本では、ご飯、味噌汁、焼魚、納豆、漬物といった和食が一般的。今でこそ、フランス料理のディナーコースも身近なものになりましたが、当時の一般庶民にとっては、見る機会すらない超高級料理でした。「リゾート軽井沢」の歴史をたどると、外国人の影響を大きく受けていることがわかりますが、食文化もまた例外ではなく、パン、ジャムなど、その影響が今日へと続いていることも興味深いのです。

(広川小夜子 軽井沢新聞編集長)

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