軽井沢別荘物語 第5回
美しい自然に心やすらぐ軽井沢の別荘地
軽井沢は日本を代表する別荘地と言われています。
明治時代に、外国人宣教師が1軒の別荘を建てたことから別荘地としての歴史が始まり
ました。
それから125年以上を経た今、軽井沢に建つ別荘は約14000軒。軽井沢町の町民世帯数
が約8800世帯(2012年)ということを考えると、いかに別荘地としての存在が大きいかが
分かります。
軽井沢の別荘地としての特徴は、町全体が別荘地であるということ。蓼科や伊豆、箱根
など各地にある別荘地は、町の一部分だけで全体ではありません。
しかし軽井沢は、どの道を行っても別荘へと続く・・・。
別荘へと続く道をたどってみましょう。
そこには軽井沢らしい風景が広がっています。
泉の里別荘地
離山通りの北側に広がる泉の里別荘
地。離山通りに並行した道は、政治家
で早稲田大学の創始者・大隈重信の
別荘があったことから、現在も「大隈通
り」と呼ばれている。滅失した別荘は
あめりか屋建築の洋館だったそうだ。
先日降った雪が融けず、雪道が氷道に
変わりつつある。
この太い丸太を組んで造った建物は
カフェ「然林庵」。夏には散歩がてら
立ち寄ってお茶を楽しめる場所だが、
今はひっそりと冬眠状態だ。
旧軽井沢の方へ続く道。かつては
早稲田グラウンドがあり、自動車部や
野球部が練習に励んでいたという。
このあたり一帯は、大正時代に野沢
源次郎が分譲開発したことから、野
沢原と呼ばれている。昔は政財界の
名士たちの別荘が多くあり、由緒ある
別荘地であった。
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