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雨宮敬次郎がつくった美しい軽井沢風景


 肺病を病み、転地療養のため軽井沢を訪れた雨宮敬次郎は
1883(明治16)年、1100町歩の土地を購入し、軽井沢最大の地主となった。
翌年、離山下の1万坪の敷地に「雨宮御殿」と呼ばれる豪華な屋敷を構える。
米国的な農場経営をしようと、ブドウ栽培、家畜育成など試みるが
地理的条件の研究不足などから失敗に終わる。
その後、植林事業に転換し、成功。年30~40万本の落葉松を
人夫に植えさせ、大正期には計700万本の植樹を行った。

 北原白秋も感動した軽井沢の落葉松林の風景は、
雨宮敬次郎の功績によるところが大きい。


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雨宮敬次郎
1846年山梨県に生まれ
繭や生糸の商売で身を立て、洋銀相場で財を成した産業実業家。
1876(明治9)年、半年かけて欧米を視察。
手がけた事業は製鉄、製粉、鉄道など、多岐にわたった。
1911(明治44)年、63歳で没。


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2012年06月05日 17:35に投稿されたエントリーのページです。

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