軽井沢夏季大学の初代学長を務めた新渡戸稲
軽井沢が避暑地となった理由
明治初期は人口わずか500人 った信州の寒村が
日本でも有数なリゾートになったのには、理由がある。
それはなぜか、歴史をたどってみよう。
アメリカ、ドイツへ留学した新渡戸稲 は明治24年
米国女性メリー・エルキントンと結婚し一緒に帰国した。
当時、国際結婚をした人が共に帰国するというのは
珍しいこと ったという。
明治32年に日本初の農学博士、明治39年には法学博士となり
明治44年、初の日米交換教授としてアメリカで講義を行っている。
明治33年アメリカで出版された『武士道』は国際的に高く評価されている。
軽井沢へは明治38年からメリー夫人と共に訪れ
矢ケ崎近くに別荘を設けて避暑生活を楽しん 。
大正7年に開講した軽井沢通俗夏季大学の初代学長を務めた。
新渡戸稲
1862(文久2)年 盛岡に生まれる。
明治16年 東京大学入学の後、アメリカへ留学。
明治24年 札幌農学 教授となる。
大正9年 国際連盟事務局次長就任。
昭和元年 貴族院議員就任。
昭和8年 カナダで死去、71歳
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