« 雨宮敬次郎がつくった美しい軽井沢風景 | メイン | 軽井沢夏季大学の初代学長を務めた新渡戸稲造 »

「平和の宮殿」と名づけた英国公使館の別荘

 明治23年(1890年)、英国公使フレイザー夫妻は伊香保から
人力車で碓氷峠を越え、旧軽井沢の英国公使館別荘に滞在した。
夫人のメアリー・フレイザーは、緑に囲まれた木造2階建の
この別荘を大変気に入り『平和の宮殿』と名づけた。
「そのわけは、この家が峠へと続くただ1本の道に近いところに
あるとはいえ、緑にすっぽりとつつまれて孤絶しているからです」
と著書に記している。
 この著書は『外交官の妻の日本滞在―故郷から故郷への手紙』
という題で1899年に英国で出版された。のちに日本でも出版され、
明治の軽井沢を知る貴重な記録となっている。


%E3%83%A1%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC%EF%BC%88%E5%B0%8F%EF%BC%89.jpg

メアリー・フレイザー
1851年生まれ。
1874年、ヒュー・フレイザーと結婚。
1888年、英国公使館夫人として来日。
1890年、軽井沢の英国公使館別荘で夏を過ごす。
1894年、イタリアへ渡る。
1899年、日本滞在時の手紙を編集し英国で出版。

軽井沢WEBへ戻る

About

2012年07月13日 10:30に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「雨宮敬次郎がつくった美しい軽井沢風景」です。

次の投稿は「軽井沢夏季大学の初代学長を務めた新渡戸稲造」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。