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新渡戸稲造別荘跡地に保養所計画

住民と3回の話し合い重ねる

1712_special_nitobe_.JPG 敷地に小川が流れる新渡戸稲造別荘跡地。敷地9573.95㎡、保養所の建坪は約2000㎡の予定。
 トラスコ中山(株)の保養所計画についての近隣住民説明会が11月19日に行われた。建設場所が新渡戸稲造別荘の跡地であり、長年、手つかずの自然豊かな土地であったため、近隣住民だけにとどまらず注目を集めていた。

要望を取り入れ設計変更
 この日は3回目の話し合いとなり、今まで住民から出された要望に対しての回答を中心に計画変更等の説明が行われた。新渡戸通りの雰囲気は今のままとし、斜面地も緑を残すとした上で、「隣地に近い東側駐車場を中止し、出入口も1ヵ所減らし緑地を増やす」「屋外機置場は騒音を考慮し、住宅のない西側へ移動」。樹木は約60本伐採するが、「移植不可能な樹木を調査し伐採。出来る限り移植する」。敷地内の小川は半分以上が土管の中になるが、「土地の形状変更は最小限にとどめ、定期的に点検し流れに支障がないようにする」などと説明した。

排水は矢ヶ崎川へ放流
 汚水について住民側は下水道本管への接続を希望していたが、トラスコ側は浄化した上で矢ヶ崎川への放流を予定している。その理由として「浸透しない地層があるので、敷地内での浸透処理は不可。下水道本管に接続するのは橋があるため支障があり県から許可がおりず難しい。放流については県も了解している」と話した。
 トラスコ側はこれから建築申請し、来年GW後に準備期間に入り、9月から本格的に着工したい意向を住民に伝えた。
 説明会に参加した住民からは「3回も設計変更し、誠意ある態度が見えた」という声がある一方、「排水を矢ヶ崎川に流すのはどうか。納得できない」という声もあった。
 軽井沢町自然保護対策要綱では「やむを得ない場合は河川に放出できる」としているが、「放流水を環境衛生上の支障を生じさせないため、十分な流量を有しかつ滞留していないものでなければならない」と書かれている。「最近の矢ヶ崎川は水量が極端に少ないので、条件的にあてはまるのだろうか」と懸念する声もある。

評価された「話し合う姿勢」
 ホテルやマンション建設の際、住民説明会を開かずに戸別に回り、一方的に説明するだけで工事に入るという例が多く、批判の声が聞かれるだけに、今回のように数回にわたって住民の要望を聞くという姿勢は住民側からも評価された。町役場環境課は説明会には直接関わらないが、近隣住民との話し合いは十分行うようアドバイスしたと話している。

フランス文学者・学習院大学名誉教授 篠沢秀夫 さん

1712_special_deatta01.jpg クイズダービーには11年出演。篠沢さんが出てから15%の視聴率が35%に。「僕が当たらないのに威張っているのがおもしろかったんでしょうね」。軽井沢ではハンモックがお気に入り。 1712_special_deatta02.jpg 1999年、取材当時の篠沢教授の別荘。 しのざわ ひでお 1933年東京生まれ。フランス文学者 学習院大学名誉教授。東京大学大学院卒業後、フランス政府給費留学生として渡仏。帰国後は明治大学教授を経て1973年に学習院大学教授となる。TBSテレビ「クイズダービー」のレギュラーとなり人気を得る。2013年瑞宝章叙勲。2009年頃から難病の筋萎縮性側索硬化症を患う。2017年死去。
 2017年10月26日篠沢秀夫さんの訃報が報道された。かつてテレビの人気番組「クイズダービー」のレギュラーとして活躍した篠沢さん。その笑顔とお茶目なトークがお茶の間の人気を集めた。難病を患いながらも、執筆や講演を続けていた前向きな姿が印象に残っている。

 1999年の夏、篠沢さんの別荘を訪問した。1972年に建てた頃は広い緑の中に佇む別荘だったが、軽井沢バイパスが出来て森は分断されたのだとか。

 「近くにバイパスが通ることになって途中で設計変更」。急きょ道路側にべランダを付けたので「ベランダから出入りするお客さんが多くなり、窓枠に頭をぶつける人が続出。妙な風になっちゃった」と笑う。

 篠沢さんと軽井沢との出会いはかなり古く、昭和15年頃。外国人が多く、まだ小学校1年生だった篠沢少年の目に軽井沢はヨーロッパのように映った。

 「特別なものが軽井沢にはありました。ショートケーキとか、シュークリームとか。一部の階級の西洋のものがそのまま軽井沢に持ち込まれていたんですね」

 戦後から変わってきた軽井沢について、篠沢さんはこう語っている。「敗戦というのは一つの社会革命であったと思います。フランス革命にしても貴族だけだったものが革命後は庶民に広がった。ムッシュとかマダムという呼び方も貴族だけだったんです。そういう意味では、軽井沢は突出した存在ではなくなった」。

 けれど、篠沢さんにとって軽井沢は変わらず、ずっと大好きな場所だった。「軽井沢のようなリゾート型の滞在地は日本では稀だと思います」。満面の笑みを浮かべ、「ハンモックに揺られながらの読書は最高のひととき」と話していたことを思い出す。
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