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軽井沢新聞 スペシャル
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広川小夜子(軽井沢新聞編集長)

軽井沢で出会った人々 vol.01

img-X28134343.jpg 深沢紅子さん。1982年、旧軽井沢で撮影。
はじめに
 軽井沢には素晴らしい人々との出会いがある。有名、無名に限らずそれぞれ独特の世界観を持ち活躍している人が多い。私が『軽井沢ヴィネット』という高原誌を始めたきっかけも、そうした人々との出会いの中から生まれたものだった。
 1986年、「避暑地・軽井沢」100周年記念のキャッチフレーズは「自然が好き、人が好き、だから軽井沢」だった。自然が素晴らしい所なら信州にはたくさんある。しかし、国内外から多くの人々が集まり、小さな村が国際的な避暑地・別荘地としての歴史を持つようになった所というのは、稀な場所ではないだろうか。軽井沢がそこまで名声を得たのは、避暑地として夏を過ごし、この地を大切に思ってくれた人々がいたからこそと言える。
 では、どんな人が訪れ、どんな生活をしていたのかというと、明治・大正時代はともかく、戦後から現代はあまり記録が残っていない。避暑地150周年、200周年の記念の年にはそうした記録が必要になる。この地に文化的、芸術的な面で足跡を残した人々について伝えることは、後世の人々にとっても知りたいことに違いない。
 現代のような時の流れの速さの中では、事実がどんどん風化していく。それを考えると、私が40年の間に「別荘訪問」などの取材で出会った人々を記録する必要があるのかもしれないと思っている。

野の花を描きつづけた人
深沢紅子さん(画家)

 私が画家の深沢紅子さんを訪ねたのは1982(昭和57)年の夏。初めての「別荘訪問」の取材だった。別荘は堀多恵子さん(作家・堀辰雄夫人)から借りている、あの有名な1412の杉皮張りの山荘。庭にはフシグロセンノウやキスゲ、マツムシソウなどたくさんの花が咲いていた。
「私はこの別荘へ、花を描きたくて来るんですよ」
 深沢さんの描く野の花の絵は堀辰雄や立原道造の詩集の装丁として知られていたが、仕事というよりは軽井沢での生活を楽しみながら、好きな絵を描くという雰囲気が感じられた。このとき堀や立原、津村信夫など作家や詩人とのエピソードを語っていただいたが、中でも雲場池を一緒に回ったときの川端康成の思い出は印象的だった。(続く)

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