【連載】わが軽井沢への想い ④防災・減災のまちづくり

 浅間山(標高2568メートル)は全国有数の活火山として知られているが、軽井沢はそのお膝元といわれている割には防災・減災への危機管理がイマイチのように思われる。

 嬬恋村「天明三年浅間山噴火史」(1892年)などによると、江戸時代半ばの1783年8月、マグニチュード(M)5.1の「天明の大噴火」では関東平野で死者計1443人、流失家屋同957戸を出した。なかでも北麓の群馬県鎌原村(現嬬恋村鎌原地区)では村人597人のうち、483人が死亡、152戸の家屋が流出し、村外れの高台の観音堂に避難した93人と草津へ外商に出かけていた21人だけが難を逃れただけであった。これに対し、軽井沢では死者はわずか1人、家屋への損害もほとんどなかった。もっとも、これは当時、夏場の偏西風の影響だったからで、冬場だったら北方のオホーツク海高気圧の影響で甚大な被害をもたらしたかもしれなかった。しかも噴火は季節を選ばない。

 このようななか、軽井沢町など長野、群馬両県の6市町村などでつくる火山防災協議会は2024年3月、最大19万人を対象とする初の広域避難計画をまとめたが、住民はもとより、別荘族や観光客も各自治体の「浅間山火山防災マップ」や気象庁の「噴火警戒レベル」にも万全の注意を払いたい。また、草津白根山(同2160メートル)も小噴火を繰り返しているため、ふだんから各自治体と連携し、広域的に防災・減災に備えてはいかがであろうか。

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鬼押出し園にて。

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