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軽井沢の偉人の「yes!」テーマに、新たなラジオ番組スタート

2015年09月06日 16:58

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 TOKYO FM(東京都千代田区)とホクト(長野市)が共同で制作する30分のラジオ番組『yes!~軽井沢からの便り~』が9月5日、FM軽井沢(毎週土曜日18:00〜)などで放送が始まった。制作発表会と第一話の公開リスニングが同日、軽井沢タリアセン・睡鳩荘で行われ、脚本の北阪昌人さん、演出の伏見竜也さんが番組に込める思いなどを語った。

 番組は12月26日までの全17回。軽井沢にゆかりのある偉人を毎回1人取り上げ、その生き方や隠れた心模様をストーリー仕立てにして放送する。ナレーションは劇作家で俳優の長塚圭史さんが担当。偉人をイメージする音楽も4~5曲流す。

 北阪さんは『yes!』の番組名について、「自分に『よく頑張った、yes!』と、言えるような時間になればと思いを込めた。偉人たちが、辛いときに軽井沢からどう『yes』をもらったか描いていきたい」。伏見さんは、番組で使っている効果音は、ほぼ軽井沢で録ったものと明かし「遠くで鳴いている小鳥の声、上空の風の音など、軽井沢でマイクを向けていると、耳では聞こえない音が聞こえてくる。写真や本では気付かない音の世界を、便りとしてのせられたら」と話した。

 第一話ではジョン・レノンを偉人として取り上げた。9月10日放送の第二話は白洲次郎がテーマ。番組の公式HPではアーカイブを聞くことができる。

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NHK大河ドラマ「真田丸」、軽井沢町や上田市で撮影始まる

2015年09月05日 19:42

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 2016年1月スタートのNHK大河ドラマ「真田丸」の撮影が9月1日から長野県軽井沢町で始まり、続いて上田市などでも行われている。軽井沢町では1日、真田信繁(幸村)役を演じる主演の堺雅人さんと、真田家の家臣、矢沢三十郎頼幸役の迫田孝也さんが登場する、第一話のシーンを撮影した。

 2日からは上田市に場所を移して撮影を続け、5日はロケ地の真田氏本城跡(上田市)で取材会があった。堺さんのほか、信繁の生涯のパートナー・きり役の長澤まさみさん、信繁の初恋の女性・梅役の黒木華さん、信繁を慕う地侍・堀田作兵衛役の藤本隆宏さんも出席した。
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 堺さんは「『真田丸』は信繁の物語でなく、信繁をとりまく家族の物語。一つの一家が荒波の中どう過ごしていくかが、物語の核心になるので、メンバーの一員としてしっかり息づいていきたいと思っている」と意気込みを語った。

 また、8月に第一子となる長男が誕生し、役作りへの心境の変化があったかどうか問われると、「家族の物語を演じるにあたって、家族ができたことは非常に励みになる。何より一つの物語に入るというのも新しい家族ができたようなもの。スタッフ、キャスト全員が大きな家族だと思っている。力を合わせ、一年間和気あいあいと過ごしていきたい」と話した。

<他のキャストの第一声>

長澤まさみさん(きり役)
「信繁を支えていく“きり”という女性を、とにかく元気よく演じられたら。気候のいい日にロケを始めることができたので、この先も良いことが待っていそうな気がする」

黒木華さん(梅役)
「初めての大河を、この上田で迎えられて嬉しく思っている。堺さんの初恋の相手ということで光栄。現場の雰囲気も和気あいあいとしていて、これから一年間すごく楽しみ」

藤本隆宏さん(堀田作兵衛役)
「小学校5年生の頃に『風雲!大阪城』という漫画を読んでから歴史好きになった。上田の地で真田家の一員を演じられるのは最高なこと。この気持ちを忘れず最後まで演じていきたい」

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「人とのつながり必要」岩手県大槌町訪問児童・生徒の報告会

2015年09月01日 16:33

 東日本大震災の被災地岩手県大槌町を訪問した小中学生18人の報告会が8月27日、軽井沢町中央公民館で行われた。現地での交流を通じ感じたことを一人ずつ話し、大槌町の人にインタビューした映像なども流した。保護者や町関係者ら約70人が耳を傾けた。

 生徒らは8月3日から5日まで、岩手県大槌町に滞在。今年4月に開校した小中一貫校「大槌学園」や、会えなくなった人に思いを伝える「風の電話」があるオープンガーデン「ベルガーディア鯨山」、福幸きらり商店街などを訪問し、現地の人と交流した。

<児童・生徒から語られた報告の一部>
「支援とは物資を送ることだけではない。本当に大切なのは面と面で向き合い交流すること。大槌の皆さんは人とのつながりを必要としている」。
「『海があっての大槌』という言葉から、大槌の人にとって、海はかけがえのない特別な存在だとわかった。軽井沢の人に、大槌のことを知ってもらえるようこれからも頑張っていきたい」
「泊まる部屋から見た海はきれいな青に透き通り静かで、恐ろしい津波が起こったことが信じられなかった」。
「今必要なものを聞くと、皆さん『人が足りない』と口を揃えた。私たちができる支援は大槌の良さを多くの人に知ってもらい、大槌に足を運んでもらうことだと感じた」。
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 報告会の最後には、軽井沢中学が大槌町復興支援のポロシャツを作ったことを発表。黒色で大槌と軽井沢の頭文字「O」と「K」を矢印で繋げたピンクのプリントを首元後ろに施した。サイズはS~3L。料金は2000円。売り上げは全て復興の支援に役立てる。9月18日の軽井沢中学文化祭「からまつ祭」で大槌町の物産と一緒に販売する。

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軽井沢ナショナルトラスト 創立20周年式典を開催

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 軽井沢の歴史的建造物の保全に取り組む「軽井沢ナショナルトラスト」の創立20周年式典が29日、万平ホテルで行われ、会員をはじめとする約60名が参加した。
 大久保保会長は20周年を迎えたことについて、「軽井沢の歴史・文化に造詣の深い方々の助力のおかげ」と述べた。軽井沢ゆかりの建築家、アントニン・レーモンドに師事した北澤興一さん(北澤建築設計事務所代表)は来賓挨拶で、「レーモンドから引き継いだ軽井沢の新スタジオには、絵画やスケッチなどの膨大な資料が残っている。軽井沢の文化を物語るものなので、この地で保存したい」と話した。
 「軽井沢の価値」と題した講演を行ったエッセイストの玉村豊男さんは、「1983年から91年まで軽井沢で過ごした。現在暮らす東御市は坂が多く日差しも強いので、木陰の中を犬と散歩したことが懐かしい」と思い出を語り、「現在でも人口が増え続けている軽井沢は、特殊な歴史の上にありながら、新たに輝く時代がくるのではないか」と期待を寄せた。
 同団体は1994年10月に「別荘建築等保存調査会」として発足。重要建築物の保存や、軽井沢の歴史や文化の周知活動に尽力してきた。
 
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スイス公使の日記も初公開 旧スイス公使館「深山荘」の謎に迫るシンポジウム

2015年08月27日 16:02

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 第二次世界大戦中にスイス公使館が疎開していた旧軽井沢の「深山荘」の歴史的意義や役割について探る公開シンポジウムが8月22日、軽井沢町中央公民館で開かれた。同日の旧スイス公使館の現地見学会に続き軽井沢町と筑波大学が主催し、約250人が受講した。

 1940年から45年までスイス公使を務めたカミーユ・ゴルジェ氏の日記を研究する、フライブルク大学(スイス)のクロード・ハウザー教授(近現代史)や、ゴルジェ氏らが戦中に本国の外務省などへ送った電報の解読を進める筑波大学の花里俊廣教授(建築計画学)ら6人の研究者らが講演した。

 ゴルジェ公使の日記は、日本滞在中の回顧録や公式報告書、書簡などから情報を再構築し1953年頃に書いたもの。軽井沢での日常生活や直面した課題など、個人的な体験に基づいて書いている。
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 ハウザー教授によると、軽井沢への疎開が決まった1944年6月の日記には、「寒い時期に、暖房もなく木と紙でできた家で住むことができるだろうか」と不安を綴り、疎開後の同年8月1日には、スイスナショナルデーに合わせて公使の家で開いたパーティーに、軽井沢に滞在しているスイス人を集め、ケーキやチョコレートを振る舞ったことを記載。「食料は不足しているが、皆志気は高い」と記されている。

 1945年6月3日には、「住宅の隣りで労働者が穴掘り作業をしている。皇太后が避難するための地下壕を掘っているようだ」。同年7月20日には、「庭に壕を掘る作業は終わったようだ。灯りがつき、中には家具も揃い、二人の兵士が日夜入口を守っている。皇太后はもうそこにいるのかもしれないし、いないかもしれない。知りたくもない」と綴った。

 また、ハウザー教授は、「終戦日の8月15日の日記に、ゴルジェはほっとしたという感情と、日本兵による報復に対する不安の両方を表している。日本の降伏による終戦を、ゴルジェは当事者というより傍観者の立場でみている。憲兵の強い監視下にあり、本当の意味で終戦に向けた調停役を果たせなかったのでは」と話した。

 花里教授はゴルジェ公使らが本国の外務省などに送った電報の中に、フランス語で「軽井沢を爆撃しないでほしい」という意味の「イミュニテ カルイザワ」と記した文言があると指摘。文言は、1945年6月8日から7月30日に宛てた電報のうち19通に見られるという。
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 花里教授は「軽井沢が貞明皇太后の疎開先として名前が挙がっていたことから軽井沢を爆撃対象から除外してほしいという意味も考えられるが、『イミュニテ カルイザワ』が『国体護持(天皇制維持)』の符号で、スイスが講話条件などを探っていた可能性もある」と、見解を示した。

(写真は中央右:クロード・ハウザー教授、左下:花里俊廣教授)

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小学校の体育館に本物の文楽が登場

2015年08月25日 16:14

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 日本の伝統文化でユネスコ無形文化遺産にも登録されている人形浄瑠璃文楽の公演が、8月24日、軽井沢中部小学校で行われた。体育館に集まった5・6年生の生徒らが「三番叟(さんばそう)」や「伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)」などを鑑賞した。

 番組の合間には人形の体験コーナーなどもあり、生徒たちは積極的に壇上に上がって、人形同士の立ち回りなどを演じた。長野文楽公演実行委員会の福島さんは「昨年の御代田に続き、今年は軽井沢の中部小学校と佐久市で開催します。毎年続けていくことが大切だと思っています。本物の日本文化を体験する機会をこれからも続けていきたい」と話した。

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初開催の旧スイス公使館見学会、400人来場

2015年08月24日 16:08

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 軽井沢町と筑波大学は8月22日、戦時中にスイス公使館として使われた旧軽井沢の「深山荘」の見学会を開いた。町が2007年に取得してから初めての開催。約400人が来場し、用意したパンフレットがなくなるなど関心の高さを窺わせた。

「深山荘」は三笠地区で数十軒の貸別荘を営んでいた実業家の前田栄次郎が、1942年に建設したアパートスタイルの貸別荘。戦時中の1944年、軽井沢が外国人の疎開地に指定されると、スイス公使館が使用。戦後は1967年から2006年まで東京電機大学の学生寮として使われていた。

 建物は敷地面積2100㎡、延床面積485㎡の一部2階建て。一階に厨房やボイラー室、使用人の部屋、2階中央八角形のホールの両脇に宿泊者用の部屋(ベランダ付き8畳の洋間5室、6畳洋間5室、6畳日本間5室)がある。
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 見学会では、軽井沢ナショナルトラスト会長の大久保保さんと会員の木下裕章さんが、建物の特徴やスイス公使館の果たした役割などを説明。大久保さんは「スイス公使館は、疎開した他国の大公使館の窓口となり、食料や燃料の確保に努めた。三笠ホテルに置かれた外務省軽井沢事務所とも連絡をとり、戦時中も国際親善の役割を果たした」。木下さんは建物について「中央と南側の2カ所に階段があり、宿泊客と使用人のスペースがはっきり分かれているのが見るとわかる」などと話した。

 横浜市から訪れた60代の男性は「ずっと中を見たいと思っていた。豪華な作りを想像していたが、規格化された質素な作りで驚いた」と述べた。この日はスイス公使館の果たした役割を探るシンポジウムも、町中央公民館で開かれた。

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男子柔道個人戦長野県大会優勝の曽根敬次郎さん、全国へ意気込み

2015年08月12日 10:56

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 長野県中学総体(7/18〜19・長野市)の男子柔道個人戦50kg級で優勝した軽井沢中学2年の曽根敬次郎さんが8月12日、軽井沢町役場に藤巻進町長を訪ね、全国大会(8/17〜20・函館市)へ向け意気込みを語った。軽井沢中学では3年生以外が全国中学柔道に出場するのは初めて。

 曽根さんは父や姉が柔道をしていた影響もあり、小学校1年から柔道を始めた。現在は中学の柔道部に所属し、一日2時間、週5日の練習を行っている。得意技は背負い投げ。「先輩や仲間の分まで、一つでも多く勝てるように頑張りたい。目標はベスト8」。町長は「相手も真剣勝負で来るから簡単ではない。絶対ベスト8に入る、という強い思いを持って頑張って」と激励した。

<写真:軽井沢中学田中寿一校長らと町長を表敬訪問した曽根敬次郎さん(中央)>

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パリスタイルを参考にした オペラと食の融合

2015年08月11日 14:03

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 東雲交差点にあるワインバーRUBATOで、オペラを間近に味わえるイベント「Opera &wine」が開催されている。パリやロンドンで話題のレストラン「ベルカント」を訪れた軽井沢に別荘のある日本人女性が「音楽を楽しむ感動を日本でも伝えたい」と企画を考案した。ベルカントはレストランで食事をしながら、プロの若手オペラ歌手たちによるオペラのナンバーを味わうというスタイルで、ヨーロッパで人気となっている。軽井沢でのイベントでも、ソプラノ、アルト、テノール、バリトンの4人の若手オペラ歌手たちが情感あふれる歌唱を披露。サプライズの演出などもあり、訪れた観客たちからは歓声が上がっていた。Opera&wineは12日まで開催中。
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別荘住民と町民の懇親図る「さわやか軽井沢交流会」、元国連事務次長明石康さん講演

2015年08月08日 15:16

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 軽井沢町は8月8日、別荘住民と町民が親睦を図る「さわやか軽井沢交流会」を通年型のカーリング場「軽井沢アイスパーク」で開いた。4回目の今年は、国連事務次長を18年間務めた明石康さんの講演などがあり、677人が来場した。

 13年ほど前から別荘を持ち、軽井沢を訪れるようになったという明石さんは「これからの軽井沢の役割と可能性」をテーマに講演。「非科学的な観察だが、軽井沢の空気は酸素が多いような気がします。夜は安眠ができるし、読書のスピードも軽井沢では一段と増す」。

 また、軽井沢町が「リゾート会議都市」を目指していることに触れ、「東京、横浜、大阪、神戸などのような大型の会議都市ではなく、200〜300人規模の専門性の高い対話型、滞在型の国際会議を企画し実施するのがこの街にぴったりではないか」と提案した。

 さらに「日本人は発信力よりも受信力を高めるべき。鋭敏なアンテナで世界の人たちが何を考え、心配し、夢見ているのか受信し、世界の人と交わるべき。その交流の場として軽井沢は大きな役割を果たしうると思う」と続けた。
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 交流会では、軽井沢中部小学校吹奏楽部の演奏やカーリングの無料体験なども開催。屋外のスケートリンクでは軽井沢産の野菜を使ったサラダやトウモロコシ、蕎麦などが振る舞われた。「D51トレイン」も走り、子どもらが乗って楽しんでいた。一年に一回ほど、軽井沢の別荘を訪れるという東京都の辻聖一さんは母と妻と3人で初めて参加。「お蕎麦も美味しかったし、大人げなくデコイチにも乗った。存分に楽しみました」と話した。

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