作家 北 杜夫 さん

軽井沢で出会った人々 vol.11
1711_special_kitabessuo.jpg 取材当時の北杜夫さんの別荘
1711_special_kitamorio.JPG きた もりお
作家、医師。東京生まれ。父は医師で歌人の斎藤茂吉。松本高校から東北大学へ進み、卒業後は医師となり、1958年からは船医として航海した。この体験に基づいた『どくとるマンボウ航海記』がベストセラーに。1960年『夜と霧の隅で』が第43回芥川賞受賞。『楡家の人びと』が1964年、毎日出版文化賞を受賞。自ら躁うつ病であることをエッセイ等でユーモラスに記していた。2011年10月、84歳で死去。死去後、旭日中綬章受章。
 1985年の夏のこと。遠藤周作さんに取材記事を掲載した『軽井沢ヴィネット』を届けに行ったF記者が息を切らせて帰って来た。「遠藤さんの別荘の場所がわからなくなって、庭にいたパジャマ姿の人に道を訪ねたら、それが北杜夫さんで、思わず『ぜひ、別荘訪問を』とお願いしてしまいました」と、一気にまくしたてた。「え~!パジャマ姿の北杜夫さんにですって。それでお返事は?」「今なら躁状態だからいいですよと言っていただきました」。F記者の大胆な行動に呆れながらも、急きょ別荘訪問することにした(北杜夫さんは躁うつ病であることを公表していたので、躁状態のときが良いと私たちも思った)。

 北杜夫さんが軽井沢を訪れたのは1947(昭和22)年、旧制松本高校生のときだった。滞在は短かったがすっかり気に入り、大学時代からしばしば訪れるようになったという。その後、旧軽井沢や沓掛の別荘を借りて過ごし、遠藤周作さんの勧めもあって千ヶ滝西区に別荘を新築したのが1973年。その木造りの素敵な別荘で、楽しい取材をさせていただいた。しかし、その後が大変だった。テープレコーダーを再生しようとしても、笑い声ばかり響いて話がよく聞き取れない。

 「北先生はパジャマがお好きなようですが」
 「アハハハ...。軽井沢ではゴロゴロしているからいつもパジャマなんですよ。近所へビールを買いに行くときもパジャマでね。ハハハハ...。」

 この辺りはしっかり聞こえるのだが、肝心の文学の話になるとなぜか聞き取りにくい。耳を澄ますと、「自信の持てる作品は『楡家の人びと』と『幽霊』、『どくとるマンボウ航海記』くらいですよ。『夜と霧の隅で』は駄作です」と聞こえた。

 えっ、『夜と霧の隅で』は確か、芥川賞受賞作では?...。聞き間違えでは、と思い何度も何度もテープを回して聞き直し、ようやくまとめたのであった。(次号へ続く)

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