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軽井沢新聞 スペシャル
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難民を助ける会会長 相馬雪香 さん

1803_spesial_souma.jpg 相馬雪香さん。
 1990年の夏、相馬雪香さんに初めてお会いした。雪香さんは「憲政の神様」と言われた政治家・尾崎咢堂(行雄)とテオドラ夫人の娘として生まれ、幼少の頃から夏は軽井沢で過ごして来た。この日は旧軽井沢の別荘に伺い、軽井沢の思い出や父・咢堂から学んだことなどを語っていただいた。

 「第一次大戦の後にヨーロッパを見て回った父は、戦争をしてはだめだということを強く感じて帰って来ました」。大正13年、当時の日本は軍国主義の道を走っていたが、咢堂は軍縮を主張した。「世の中の動きと反対のことを言ったので、刺客とか壮士とかいう人達が家に踏み込んできて、それはもう大変でした」。まだ子供だった雪香さんは学校で教えられることと、父の言っていることが違うので困惑したが、どんなときでも批判力をもって、自分なりに考えなくてはいけないということをこのとき学んだという。咢堂の精神は少しずつ小さな雪香さんの心に受け継がれていった。

 「新聞は1紙だけじゃだめよ」と言った雪香さんの言葉が強く心に残っている。雪香さんは毎朝5紙を読み、そのうちの2紙は英字新聞だった。一つのニュースでもとらえ方が幾つもある。様々な見方を知った上でよく考えなさい、ということを教えていただいた。

 昭和12年に軽井沢で知り合った相馬恵胤氏と結婚。雪香さんは結婚後も、世界の平和を願った咢堂の教えを伝えるために自らも奔走し行動した。「軍備の再武装ではなく、道義と精神の再武装が世界の平和をもたらす」というMRA運動に力を入れ、日韓女性親善協会にも関わり世界を飛び回った。「難民がいるのに何もしない日本人ではいけない」と『難民を助ける会』を設立。連携して取り組んだ地雷禁止国際キャンペーンはノーベル平和賞を受賞した。

 最後にお会いしたのは雪降る軽井沢駅だった。「これから会議で韓国へ行って来ます」と歩いていく雪香さんは90歳を超えていたがお元気そうだった。亡くなるまで信念を持って行動した雪香さんの一生は凛として輝いていた。
そうま ゆきか
1912年生まれ。女子学習院卒業。1946年日本リーダーズダイジェスト社入社。1978年日韓女性親善協会設立。1979年難民を助ける会設立。1984年国際MRA日本協会設立。同年勲三等瑞宝章受章。韓国政府より修交勲章崇礼章受章。1999年カナダ政府より「世界平和と人道援助促進功労表彰状」受賞。その他多数受賞有 2008年11月96歳で逝去。
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