「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子と宣教師たち

軽井沢が見える万華鏡 №23

ph_201407_01.jpg 花子とも交流があったハミルトン校長の別荘 (愛宕に現存)
グリンゲイブルスの家から少女が登場し、主題歌のメロディにのってクルクル回るように歩いて行く。そんな場面から始まるNHK朝のテレビ小説は『赤毛のアン』を翻訳した村岡花子の生涯を描いたドラマ。「2014年のテレビ小説が村岡花子の話になります。軽井沢関係の宣教師さんも登場するかもしれませんね」。2年前にそう言っていたのは軽井沢ナショナルトラスト理事のAさん。2010年に横浜で開かれた村岡恵理さん(村岡花子の孫)の講演会に行き、花子の生き方に興味を持った。そのとき恵里さんの著書『アンのゆりかご』を買って読み感動し、「これがテレビ小説になったら」ともう1冊買ってNHKに送った。NHKからは本が届いたことと「検討します」という返事はあったが、その後どうなったか特に連絡はなかったので、新聞で発表を見てAさんは驚いたという。もしかしたら、このときの1冊が脚本家の目に留まったのかもしれない。
 安東はな(村岡花子)に大きな影響を与えた一人として、ブラックバーンなる人物が登場する。威厳を感じさせる校長先生で生徒を叱るとき「Go to bed!」と怒鳴るのだが、瞳の奥は優しく慈愛に満ちている。実在の人物はブラックモアといい、旧軽井沢のヴォーリズレーン近くに別荘があった。のちに宣教師メジャーの別荘となり2、3年前までは残っていたが、所有者が変わり売却のため壊された。私は10年ほど前に見学したことがあるが、新渡戸稲造の自筆の書が飾ってある古い暖炉が印象に残っている。  ドラマに出てくる女学校のモデルは東洋英和女学院、花子の出身校だ。東洋英和女学院と軽井沢は宣教師を通してつながりがある。愛宕山別荘地の知人が気に入って購入した古い別荘も、調べてみたら東洋英和女学院ハミルトン校長の所有だったことが分かった。「ハミルトン先生の別荘が軽井沢に残っていたなんて!」と東洋英和女学院の関係者は驚いて見学にやって来た。  当時の宣教師たちは夏休みを軽井沢で過ごしていた。宣教師たちの力で発展した軽井沢は「清潔で健康なリゾート」を守り続け、今も深夜営業や風俗営業が禁止されている。軽井沢の歴史を知らない人たちからは、コンビニや飲食店が夜11時で閉店するのが不満という声も聞こえてくる。しかし、これは軽井沢の伝統であり誇りでもあるのだ。ブラックモア校長が花子に大切なことを厳しく教えたように、新たに訪れる人たちに伝えていかなければいけない。8月1日には『軽井沢ショー祭』が行われる。A.C.ショー始め先人たちを顕彰するこの記念式典は、軽井沢の原点を見つめる良い機会でもある。縁あって軽井沢に暮らすようになった人達には、ぜひ参加してほしいと思う。

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