三井三郎助別荘、売却の波紋

軽井沢が見える万華鏡 №34

1909_sp_mitui.jpg 三井三郎助別荘の内観。
(文:広川小夜子 軽井沢新聞前編集長)

 「解体か、保存か」、このショッキングな見出しで新聞記事となり、ヤフーニュースにも取り上げられたことで、軽井沢の三井三郎助別荘がヴァージン諸島のアジア人の会社に売却され、取り壊しの危機にあることが全国的に知れ渡った。

 ただ古い別荘というだけでなく、タゴールや西園寺公望、広岡浅子など訪れた人々の物語があり、エピソードは上皇陛下にまで及ぶ。120年以上経った今も室内は優雅な雰囲気そのままに、当時の籐椅子が置かれている。ただ壊されてしまうにはあまりにもったいない。「三笠ホテルと同等の価値がある」と文化財審議会の大久保会長は話している。]

 私が知る限り、三井三郎助別荘の保存は今までに3回のチャンスがあった。そのうちの2回は町行政の判断で消えている。最初は1999年、三井家から町に寄付するという話があり、当時の町長は承諾した。しかしその後、徳川別荘を寄付するという話が持ち上がり、町は三井別荘の寄贈を断った。(数か月後、徳川別荘の話は所有者側から断られた)。

 このあと、三井別荘は資産家のI氏が購入した。彼はこの別荘の文化的な価値を理解し、有効な利用方法を模索して見学会なども許可した。10年間所有したが、老齢のため売却を考えるようになった。売ってほしいと訪れる不動産屋を断り、建物を保存することを条件に買ってくれる人を探した。2017年、建物を保存し、サマースクールを行いたいという人物が現れたので売却を決めた。町役場に行くと「学校法人の資格はあるのか」と問われ、ないと答えると拒まれた。欧米では英語や音楽の夏期講習は頻繁に行われ、軽井沢でもモルナール氏によるミュージックサマースクールが開かれてきたにもかかわらずだ。その人は土地の購入をあきらめた。会社の山荘にするとでも言えば許可されたのだろう。そして、3人目が現れたのが今年の4月。その実業家は真剣に考えてくれたが、土地の謄本をとってみると「時すでに遅し」、1月に売られたあとだった。

 軽井沢町長は「スイス公使館別荘、八田別荘、枡形の茶屋を活用していないのに、さらに三井別荘保存に税金の投入はできない」と言う。軽井沢の文化遺産として必要なものだから、歴史的建造物を購入したのではなかったか。保存しても使わなければ宝の持ち腐れである。活用する気があるならもっと前から利用できたはずだ。三井別荘の保存には活用法も提案されている。

 中学校や発地市庭建設にかかった巨額な数字をみれば、僅か3億円で軽井沢のブランドを守ることができるなら安いものだ。保存の機会を2回逃した町役場にとって、今が最後のチャンスなのである。

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