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軽井沢新聞 スペシャル

軽井沢高原文庫30周年

その軌跡と功績をたどる その2

その軌跡と功績をたどる その2林の庭で行われる高原文庫の会。夏はこのほか、『高
原の文学サロン』も開催。
 【前回は】軽井沢高原文庫が創立したいきさつや、第1回目の展示から今まで30年の間に約120回もの展示が行われ、膨大な資料がこの軽井沢に集められ多くの人々の関心を集めたことなどを掲載。

堀辰雄山荘でも展示
 展示は年に3~4回開催するが、特に夏を中心に行う特別展は注目を集める。特別展はどのように決めているのだろうか。特別展は『生誕○○年』など節目となることを選ぶことが多いそうだ。今年の開館30周年記念展は北陸新幹線開通ということもあり、金沢市の後援も得て室生犀星を選んだ。また、堀辰雄山荘でも展示を開くことがあり、今までに立原道造の展示や『加藤周一全著作展』など様々な展覧会を開催した。
 2009年に行った北杜夫の『どくとるマンボウ昆虫展』には天皇・皇后両陛下が来館され、興味深くご覧になったという。

文学者も集うパーティー
 毎年8月に開催する「高原文庫の会」は同文庫「友の会」の会員の親睦会。軽井沢で夏を過ごす作家たちの交流の場でもあり、文学ファンにとっては直に作家たちに会える魅力のパーティーだ。毎回、講演があり、なかなか聞けないエピソードが聞かれる楽しみもある。遠藤周作の長男・遠藤龍之介さんは、イタズラ好きの遠藤周作のとんでもないイタズラやエピソードなど「おもしろトーク」を披露してくれた。
 軽井沢高原文庫の活動が広がり、ネットワークも深まることによって、文学碑の建立や作家の別荘の移築の話も持ち上がっていった。

文学の枠を超えて文化を発信
 政治家の鳩山邦夫さんが中心となった「立原道造詩碑」、ガラスでできた珍しい文学碑「中村真一郎碑」、野上弥生子の茅葺きの「書斎兼茶室」、朝吹登水子の「睡鳩荘」など、文学にまつわる軽井沢のメモリーが残されている。
 また4年前から「睡鳩荘」での朗読劇を開催するなど、今や文学だけにこだわらず活動の幅を広げている。「美術・音楽・建築など文学と密接につながる軽井沢の芸術文化を発信します」と副館長の大藤敏行さんはにこやかに話してくれた。

<軽井沢クマ物語> vol.2 ニム

<軽井沢クマ物語> vol.2 ニム
 軽井沢町の北部に広がる豊かな森は、80年以上の歴史をもつ、国指定の鳥獣保護区だ。長く人間に追われる恐怖が無かった影響か、軽井沢では2000年を過ぎた一時期に、人を見ても逃げないクマが現れた。

「今はない光景ですが、昼間に人がいても気にせずに木の上で木の実を食べているクマもいました。こちらが保護をすれば、動物は気を許すんですね」
 2004年の夏に、ニムという1才のオスグマが駆除された。最初に捕獲されたのは5月31日。駆除されたのは同年7月19日だった。  7月19日未明、ニムは離山の辺りに出没し、ピッキオのスタッフが夜通しで監視を続けていた。しかしスタッフが交代する1時間の間に、ニムは山を降り、国道18号線を越えて南へ渡ってしまった。
「山に戻そうとしたんですけど、その日は大雨で、音で威嚇することができなかった。そのまま夜が明けてしまったんです」  土曜日だったこともあり、すぐに国道18号線は渋滞し始め、ニムはしなの鉄道の線路付近から動かなくなった。

「経験からすれば、夜になれば自分から山へ戻ったと思います。だから本当は待ちたかったけれど、やはり何かあってからでは遅い。私は10mくらいのところからニムを見ていました。離山をじっと見つめながら、クンクンと匂いを嗅いでいるんです。その姿が『オレ、あっちに帰りたいんだけどな』と言っているみたいで。あの光景は忘れられない」

 麻酔銃で眠らせようとしたがうまく行かず、ニムは同日午前中のうちに射殺された。まだ若かったニムは、暮らしていく場所を探している最中だった可能性もある。森をさまよううちに、離山付近に暮らす他のクマから追い出され、国道を越えてしまったのかもしれない。
「ニムが人里に出てきてしまったのが週末でなければ、あるいは夏以外の季節だったら、別の方法があったかもしれないですね」

 緑豊かな町であると同時に、年間入込客数が800万人を超える避暑地でもある軽井沢。そこでの野生動物との共生の難しさ、複雑さが、ニムの話から分かる。(A記者)
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