議会ウォッチャーの8月メモ

 8月6日と9日。この二つの日付は、私たち日本人が決して忘れてはならないものだろう。1945年、広島と長崎に投下された原子爆弾は、一瞬にして多くの命を奪い、今なお深い傷跡を残している。あれから80年。戦争の記憶は風化しつつあるが、「なぜ、あのようなことが起きたのか」「二度と繰り返さないために、私たちに何ができるのか」という問いに向き合い続けることは、今を生きる私たちに課された責任である。

2508_sp_gikai.jpg

 共同通信が今夏、広島原爆資料館を訪れた外国人に対して行ったアンケートでは、7割以上が原爆投下を「正当化できない」と回答し、アメリカ人の中でも約半数が同様に答えた。来館理由として「学校で原爆について学んだから」という回答が75%を超え、教育や平和啓発の力が着実に実を結びつつあることが示された。

 一方、私たちの暮らしの足元では、宿泊税の導入をめぐる議論が町議会で重ねられてきた。6月議会では、宿泊税に関する町提出の条例案と、旅館経営者による陳情がともに継続審査となり、その後、町側や関係者らからの意見聴取を経て、7月議会で修正案が提出され可決。陳情はみなし採択となった。議論は、原案支持・修正案支持・再協議を求める立場の三つに分かれた。詳細は「議会だより147号(7月25日発行)」を参照されたい。

 宿泊税は、観光施策や町の財政にかかわると同時に、地域の事業者や暮らしにも影響を及ぼす重要な政策である。こうした町レベルの議論に丁寧に向き合う議会の姿勢は、暮らしの延長にある民主主義の営みそのものであり、住民の声をかたちにする仕組みでもある。

 さらに視野を広げると、私たちの暮らしの延長線上には、より大きな政治の動きがつながっている。国政では、安全保障や核武装の是非をめぐる議論が再び脚光を浴びている。

 今回の選挙で当選した候補の中にも、核保有支持を公言する者が複数含まれている。こうした傾向に対しては、広島市長や被団協などから「的外れ」との厳しい批判が相次いでいる。

 防衛や主権をめぐる議論そのものは重要だ。しかし、それが排外的な言動や陰謀論と結びつき、人々の不安や怒りを煽るものであるならば、社会の健全さを損なうおそれがある。

 「平和を守る」とは、単に戦争を回避することだけを意味するのではない。多様な価値観を認め合い、異なる立場の人々と共に生きるための知恵と努力を、日々の暮らしの中で積み重ねていくことではないだろうか。日常の中で交わされる小さな問いや対話、意見の交差もまた、よりよい社会と、持続可能な平和を形づくる営みの一つだと思う。(文・赤井信夫)

関連記事