カフェフォルテ店主 白血病を乗り越え、旧中山道踏破に挑戦中
急性骨髄性白血病を患い、臍帯血移植を経て社会復帰した発地のカフェフォルテ店主の新保浩司さんが、旧中山道(東京日本橋〜京都三条大橋、約540㎞)踏破のチャレンジを続けている。2024年3月に日本橋を出発し、一度に1〜2宿(10〜20㎞)を歩き進め、今年4月に碓氷関所跡(群馬県安中市)に到着した。
碓氷峠を越え軽井沢へ「よくここまでこれたな」
保護した子猫の世話や猛暑でしばらく見合わせていたが、9月16日に再開。朝7時半に碓氷関所跡を発ち、碓氷峠を越え17時前に軽井沢宿(現旧軽井沢銀座)に辿り着いた。新保さんは「自分の住む長野県まで来られたことに感無量。(治療に苦しんでいた)3年前のことを考えると、よくここまでこれたなと思う」と振り返った。
(写真=碓氷峠を越えて二手橋を歩く。)
新保さんは22年8月に、微熱とのどの痛みがありクリニックを受診。PCR検査は陰性だったが、抗生剤のタイプを調べる採血で、血小板がほとんどないことが判明。翌日、紹介された医療センターで精密検査を受け「急性骨髄性白血病」と診断された。即入院となり「死んだらどうしよう」と一週間ほど悶々とした末、「答えが出ないことを考えるより、今をどう生きるか。恐怖も不安も全て味わい尽くして経験にしよう」と気持ちを切り替えた。
抗がん剤治療の副作用による極度の頭痛、発熱、吐き気に苦しみ、担当医からは「臍帯血移植が成功したとしても生存率は40%。何らかの後遺障害が残り、日常生活が送れなくなる可能性がある」と告げられた。
同年12月1日の移植後、免疫反応による粘膜障害を発症。食道が裂けて口から出血し「唾を飲むのも地獄の苦しみ」。起き上がることのできない日々が続き「もし、普通の生活が送れるようになったら、歩く旅をしよう」と思い描いた。
やがて頭痛が引き、年末には立ち上がって短距離を歩けるまでに回復。23年3月に退院し、一年間はリハビリ中心の生活で、24年3月から店の営業を再開した。退院後飲み続けてきた免疫抑制剤は、内臓の数値が安定してきたため8月に一旦休止。通常の生活を送りながら、ひと月に一度の通院を続けている。
軽井沢から京都までは400㎞近くあり、中山道随一の難所和田峠も控える。新保さんは「体が動くようになっても、心が先に動き出す感覚を大事に、三条大橋まで歩きたい」と意欲を示す。
軽井沢宿の本陣跡周辺にたどり着いた新保さん。病気や障害に苦しみ、人生に後ろ向きになっている人に「一つの参考にしてほしい」と、チャレンジの様子をX@forte_Kousanで発信している。




