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軽井沢人物語

想い出の地に響く亡き夫との友情の交響曲

ソニー名誉会長大賀典雄夫人、ピアニスト 大賀 緑 さん

ph_201510_01.jpg 大賀 緑 さん
 祖父の代から、軽井沢と深い縁を持つ。とりわけ、軽井沢の魅力を伝えたのは緑さんの母だった。「毎夏を軽井沢で過ごしていた母が、子供だった私に、軽井沢での思い出をたくさん語ってくれました。実際に訪れるずっと以前から、軽井沢は私にとって、懐かしい町でした」
 戦時中、緑さんは疎開していた長野県上諏訪から、軟禁中だったウクライナ出身のピアニスト、レオ・シロタさんのレッスンを受けるため軽井沢に通っていた。交通事情が悪く、電車を乗り継ぎながら、時には駅で夜を明かすこともあったという。
 結婚後、海好きだった夫の典雄さんに「私は山の家がいい」と願いを伝え、別荘を建築。夫婦で軽井沢を訪れるようになった。「戦後も家族で夏を過ごしていたので、軽井沢は本当に身近に感じる町でしたが、日頃から音楽を発表する場所がないので残念に思っていました。ある時、主人が退職金を何かのお役に立てたいと言うので、私が『軽井沢に音楽ホールはどうかしら』と言いましたら『じゃあ、そうしよう』ということになりました」
 緑さんの一言がきっかけで、2002年12月、典雄さんは軽井沢町に音楽ホールの寄付を申し出た。
 その前年の11月3日、北京で東京フィルハーモニーの指揮をしている最中、典雄さんが倒れた。チャイコフスキー交響曲第5番第2楽章途中のことだった。客席に医師もいたことから、至急、病院へ搬送された典雄さん。生死をさまようも、なんとか一命を取り留めた。
 一方、コンサート会場では、客席にいた中国人指揮者のロン・ユーさんが「大賀さんの音楽を続けるべきです。私がやります」と自らがタクトを取り、第2楽章から続けた。終わった瞬間には大拍手が起こり、翌日の新聞は"日中友好"の文字が躍った。「ユーさんは、主人と同じベルリンに留学していらしたので、先輩と慕ってくださって。主人もユーさんが後を続けてくれたと聞いて『よかった』と感謝していました」
 典雄さんが亡くなって4年、この秋、ユーさんが初めて大賀ホールで指揮を披露する。チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」。当日、客席に座る緑さんの横で、典雄さんも交響曲に聴き入っていることだろう。
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