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料理人として一線を退くも、 家では毎日3食手づくり

エルミタージュ・ドゥ・タムラ 元シェフ 田村 良雄 さん

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 「料理人になるつもりはなかったけど、何か他のことをやりたかった」と、6年間勤めた東京電力を24歳で退職。会員制レストラン「東京アメリカンクラブ」で働くうち、本物が見たくなり27歳で渡仏し、4年間で3軒を渡り歩いた。3軒目の「ホテルネグレスコ」では、独創的な料理を次々に生み出し、名を馳せていたジャック・マキシマンに師事。試作の料理を食べ、その味に驚いた。

「えらくまずかったんです。こんな有名なシェフでも試作はまずいんだから、セオリーは気にせず、好き勝手作ればいいんだと思えた瞬間でした」

 帰国後、32歳で「フェヤーモントホテル」総料理長に抜擢されると、修業時代には得られなかった充足感があった。

「自分で考えた料理を提供し、お客さんが喜んで、また来てくれる。もう面白くてね、一年のうち363日はホテルにいましたよ」

 西麻布に自身の店「ラ・フェ・ドール」を構え、40代も半ばにさしかかった頃、疲れがピークに達し、ふと「空が見えるところにお店を持ちたい」と思うように。妻の久美子さんの助言もあり、生まれて初めて軽井沢へ。最初に見た物件の佇まいが、修業時代のフランスの店に似ていて一目で気に入り、東京の店をたたみ2000年、「エルミタージュ・ドゥ・タムラ」をオープンした。

 地方での開業は初めてだったが、口コミなどで評判は広がり「お客さんが来てくれるかどうか」という心配は、杞憂に終わった。

「軽井沢は知的な雰囲気があって、客層がいい。今、一線でやっている知り合いの東京のシェフでも、出店を考えている人は多いですよ」

 5〜6年前から、立っているのも辛いほどに腰の痛みが悪化。手術したのを機に2017年3月に引退し、弟子の大塚哲也シェフに店を引き継いだ。今は、自宅の庭で野菜やハーブを育て、海釣りに行き、雨の日は草履作りなどをして過ごしている。キッチンには毎日立ち、料理は3食、奥さんの分もしっかり作っている。

「娘からはカツオとか、マグロとか、回遊魚のようだって言われています。何かしていないと死んじゃうって。ストレスはゼロの生活ですね」

 今後は老人施設に出向いて料理を振る舞ったり、無理のない範囲でボランティアもしていきたい考えだ。
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