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カーリング男子SC軽井沢クラブ元コーチ 長岡 はと美 さん

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攻撃的なカーリング、ジュニア世代でも

 SC軽井沢クラブ(以降SC)のコーチとして、カーリング日本男子を20年ぶりのオリンピック出場に導いた。平昌五輪を最後にコーチ退任を決めていたこともあり、試合中は「この舞台でよく投げてくれているな、と胸いっぱいになりおセンチでした」。

 当時中学生だった両角友佑選手らと前身の「AXE」を立ち上げてから18年、SC結成から13年。コーチとしての日々を振り返り「私も素人だったので、がむしゃらでした。選手とともに学んできた感じですね。彼らをカーリングの道に導いた責任もあり、『何とかオリンピック出場だけは』という気持ちは強くありました」。

 この春から、次世代のトップ選手を育成する「カーリングエリートアカデミー」のメインコーチに就任する。五輪帰国後の報告会では「SCをやっつけるジュニアを育てたい」と意気込んだが、個々の技術力向上に何より重点を置く。

「できなかったことができるようになるのは楽しいし、スキル習得の手助けが私の役目。ゴールはそれぞれが決めてくれたらいい」

 幾つかある選択肢の中から、より難しいショットを選び、相手にプレッシャーをかける、攻撃的なスタイルがSCのチームカラー。ジュニア世代にも、攻めの姿勢を求めていく。

「勝ち負けはもちろん大事ですけど、観客を魅了するカーリングというのも、忘れないでいたい。(カーリング先進国の)カナダの観客は、退屈な試合をしていると、眠くもないのに露骨に大きなあくびをするんですよ」

 夫の長岡秀秋さん(スポーツコミュニティー軽井沢クラブ理事長)らが1987年、佐久地域のスピードスケート仲間で結成した「佐久メイプルカーリングクラブ」で、競技と出会った。千ヶ滝にあった軽井沢スケートセンターで、氷にペンで円を描き、ストーンを持ち込み、見よう見まねでプレーした日々が懐かしい。

「みんなで集まって、ああだこうだいうのがすごく楽しかったし、充実してましたね」

 このときのメンバーが中心となり、長野五輪のカーリング競技誘致を町に働きかけ、開催にこぎ着けた経緯もある。長野五輪で蒔かれたカーリングの種は20年後、SC軽井沢クラブの五輪出場という形で花開いた。次はカーリングの果実の結実へ。長野五輪を知らない世代の育成という、長岡さんの新たな挑戦が始まった。
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