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胸いっぱいの思い出とともに 信濃追分駅舎で暮らし15年

編集者 那須 由莉 さん

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 小学5年生のときに父が山荘を建てて以来、追分との関わりは60年以上。いくつもの思い出が心に残っている。夏休みに遊びに来た小学校の学級担任を、父に言われ提灯を持って信濃追分駅まで迎えに行った。「なぜ懐中電灯ではなく提灯」と疑問だったが、「迎ひに行かう 小さい 提灯をつけて...」という詩人・立原道造の手紙を再現した、父の演出だったとあとからわかった。

 「立原が好きだった先生はとても喜んでくださったけど、途中で灯が消えちゃった。真っ暗な帰り道が怖かったのを覚えています」

 総合出版社「主婦と生活社」を経て、50歳で編集企画会社を設立。「暮しの手帖社」から依頼され2005年、別冊『あたらさん』の編集長に。無人駅となり、荒れ果てていた信濃追分駅の駅長室を借り、編集室にした。

 駅舎の活用には「野の花が咲き香る、幼い頃に見た駅に戻したい」という思いもあった。地元のボランティア「オオヤマ桜を守る会」に入り、軽井沢で育った植物を持ち寄って手入れを続けた。今では春から秋にかけ、野バラやワレモコウなどで彩られる駅に生まれ変わり「その夢だけは叶ったなと思っています」。

 別冊の休刊後も駅舎を編集事務所として使い、居着いた猫の面倒をみているうち、寝食の場もこちらへ。夫と2人、駅舎暮らしを続けている。

 「関西方面へ取材に行った帰り、篠ノ井駅まで来ると、家に着いた気分になるの。もうしなの鉄道が我が家みたいになっている」

 70歳を過ぎ「体力があるうちに身の回りの片付けを」と、15年間慣れ親しんだ駅舎を9月に引き払う。その後も東京と行き来しながら、追分の地域活動は継続していく。93歳で亡くなる直前まで一線で働いた、暮しの手帖社の元社長、大橋鎭子さん(1920ー2013)を見習い、生涯編集者を貫くつもりだ。

 「東日本大震災のあとにお会いしたとき『こんなときこそ出版よ。出版は人を力づけるわよ』って。それを聞いて感動して、もうずっと続けようと思っちゃった」

 信濃追分駅舎が建築から100年を迎える2023年には「ささやかでもお祝いしたいですね」。

 駅舎がこの先も、来訪者に緑の高原の風を運んでくれることを願っている。
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