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軽井沢新聞 ピープル
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日本画教室「笙彩会」元主宰 垣内 光子 さん

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追分を愛する絵描き
庭や花の手入れに勤しむ

 ラシャと呼ばれる厚手の毛織物を輸入販売する生地問屋の四女として、1926年に生を受け東京・渋谷北谷町で育った。現在のNHK放送センター、代々木公園一帯にあった陸軍代々木練兵場は「訓練で使う塹壕を飛び越えたり、子どもたちのいい遊び場でした」。渋谷駅の忠犬ハチ公もまだ健在で「もう年寄りでしたけど、いつも撫でていましたよ」。

 1945年5月の東京大空襲で焼け出された。別荘のある軽井沢行きの列車に乗るため歩いて上野駅へ。瀕死の人で溢れていた上野駅の地下道は「今でも恐ろしく、通らないことにしています」。追分の別荘は兄姉家族で満員。結婚前だったが垣内家の矢ケ崎の別荘を借りて両親と疎開した。食糧調達のため、小諸や群馬県磯部まで足をのばしたことも。

「毎朝、軽井沢駅に並んで切符を買うんです。当てもないし知り合いもいないので、お百姓さんがいると、片っ端から声をかけました」

 子どもの頃から絵が好きで、日本画家の大家跡見玉枝主宰の精華会に12歳で入門。玉笙(ぎょくしょう)の雅号を受け、1977年に日本画教室「笙彩会」を立ち上げ、隔年で作品展を催した。黄斑変性で片目がよく見えなくなる2010年まで指導した。

 写真愛好家だった夫の故直介さんが雪景色を撮るのを好み、冬の軽井沢をよく訪れた。直介さんはカメラと三脚、光子さんはスケッチブックと鉛筆を手に、高峰高原や白馬などにも出向いた。直介さんらと1980年に発刊した写真集『四季の詩・軽井沢』にコラムを寄せてもらった縁で、堀辰雄夫人の多恵子さんと親しくなった。

「主人と二人で堀さんの家の暖炉の前で、よく紅茶をごちそうになりました。絵の教室に入ってくださり『気に入ったものが描けた』と、作品展にシクラメンの絵を出展されていました」

 東日本大震災を機に、東京から移って追分住民に。趣味は庭の草むしりや花の手入れ。冬の間だけ佐久市のシニア施設で暮らす。部屋の窓から見える蓼科山は「戦病死した長兄が、登ったと手紙に書いてきたことがあるんです。朝夕眺めています」。

 それでもやはり「周りに木がないと、神経が衰弱しちゃう」そうで、追分に戻れる桜の咲く季節を心待ちにしている。
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