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軽井沢のテニス発祥の歴史に すばらしさを再認識

一般財団法人軽井沢会 軽井沢国際テニストーナメント委員長 金子 義明 さん

金子さん.jpg 金子 義明 さん
 1999年から17年間務めた軽井沢会のテニス部長を5月に勇退した。テニス部は発足から今年で100年。次の世代に向け「伝統を壊さない程度に、新しいことを取り入れていくのもいいと思います。勝敗も大切だけど、最後はにこやかに握手で終わる姿勢は、ずっと大事にしてほしい」。
 テニス歴は中学1年で始めてから60年。数々の対戦経験の中で印象に残っているのは、負けて悔しい思いをした試合ばかり。勝った試合では、学習院の一年後輩の黒川光博さん(虎屋17代当主)と組んで、当時の皇太子殿下と正田修さん(日清製粉グループ名誉会長相談役)ペアと対戦したのが思い出深い。
 「コートに入るときに先輩から『勝ってもいいからしっかりやれ』と言われ、気が引き締まりましたね」
 軽井沢会主催の「軽井沢国際テニストーナメント(軽トー)」の100年を記念し、5月に六本木で記念展示会を開いた。天皇皇后両陛下並びに皇太子殿下、秋篠宮殿下から、パネルや優勝カップなど貴重な品々を出展頂いた。「天皇皇后両陛下にご行幸頂きました。とても熱心に、懐かしそうに、ご覧になられていました」。
 12月の発行に向け、テニス部の歩みを記した記念誌を制作中。戦前のテニス雑誌『ローンテニス』などで歴史を調べていると、軽井沢では1900~01(明治33~34)年には既に、外国人と日本人が一緒にテニスを楽しんでいたことがわかった。
「日本最古のテニスクラブ(現在の横浜インターナショナルテニスコミュニティ)も、戦前までは外国人専用でした。軽井沢では、宣教師が日本人にも門戸を開いたのでしょう。すばらしい歴史だと思います」
 日本鋼管(NKK、現JFE)に勤務し、鉄の製造に必要な鉄鉱石などの買い付けにあたった。定年後は医師の父が立ち上げた「同仁記念会明和病院」(東京都千代田区)の会長に就いている。
 軽井沢ではゴルフも楽しむ。かつて、雲場池近くにあったベビーゴルフ(パターゴルフ)に小学生の頃から馴れ親しんだため、パターの腕前には自信があったが、「年とともにスコアも落ちてね。当時みたいに入ればいいんだけど...」
 軽トーのディレクターも今年まで。これからはただ純粋に楽しく、スポーツと向き合う日々が始まる。
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