【軽井沢人物語】(株)AYKM PLANNING社長 盛田 昌夫 さん

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オーディオからエンタメまで ソニーブランドに取り組んだ日々

 小学生時代、ソニー創業者の父・盛田昭夫さんが購入した旧軽井沢の古い洋館に、兄弟3人と家庭教師らとで"放り込まれて"夏休みを過ごした。以来、夏は必ず軽井沢で過ごしている。1961〜75年に千ヶ滝で行われていた幻のイベント「真夏の夜の夢」にも参加。「テレビで見ていたスターがわんさか来て、子どもながら、強烈に印象に残っています」

 1981年にソニーに入社。オーディオ事業部に配属され、カーオーディオや携帯電話などハードウェアに携わっていた。1998年、当時の会長・大賀典雄さんに言われ、ソニーミュージックエンターテインメントへ。「社長の丸山茂雄さん(当時)から『気に入ったアーティストを見つけて回れ』と言われて、下北沢へインディーズバンドのライブに通って、若いアーティストたちに焼肉を食べさせたりしましたね。成功する人の裏に、そういう人たちが沢山いることを伝えたかったのだと思います」

「エンターテインメントは理屈でなく、人とのつながりと感性」と、同社の会長になってからも足繁くライブに通った。中島美嘉やいきものがかりなどのアーティストからは直接連絡が入り、退任した今もライブに赴く。

 ソニーグループの子会社がスヌーピーのライセンス契約を交渉する際は自らも渡米し、作者・シュルツ氏の未亡人とランチをしながら「ソニーは自身のブランドを守ることを大事にしてきた。そこは長けている」と説得。シュルツ夫人の信頼を得て、世界初のスヌーピーミュージアムも成功させた。盛田さんにとって思い入れのあるスヌーピーの、スイーツやグッズのショップとカフェが入った「SNOOPY Village」がこの夏、旧軽井沢銀座にオープンした。

 取材中、なんども「軽井沢が好き」と話す盛田さん。軽井沢ブランドを守るためには"軽井沢らしさ"とは何かを真剣に考えること。人が軽井沢に何を求め、軽井沢が人に何を与えられるかを考えるべきと言う。「ブランドはただ名前をつければいいというものではない。強いブランドだから守る価値がある」。

「それにしても、最近の軽井沢は暑すぎる。アスファルト舗装の照り返しも原因の一つ。広い駐車場には打ち水を義務づけるなど、涼やかな軽井沢に戻す工夫が欲しいですね」 

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