【軽井沢人物語】日新化工元専務取締役 エイコウ製菓元社長 鈴木 昭郎 さん

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軽井沢を愛するからこそ、冷静に「今」を見つめる

「日本には四季があるけど、軽井沢には十六季くらいあるよね」と、刻々と変わる風景を楽しみに、毎日を過ごしている。

 1939年、東京都生まれ。これまで82年間、軽井沢に来なかった年はなく、東京での仕事が一段落した2008年から定住。軽井沢には様々な思い出があるが、政友会総裁を務めた祖父鈴木喜三郎の別荘へ疎開し、軽井沢国民第一小学校に通った一年間は印象が強い。夏休みの宿題で、兵隊の腹の薬にするゲンノショウコの干し草100匁(375g)の提出を求められるも、何がゲンノショウコかわからなかった。

「教えてもらって何とか採りに行くんだけど、もう他の子が採っちゃったあと。数本しか出せず叱られたけど、仕方なかったね」

 中学生でテニスを始め、軽井沢会テニスコートでもプレー。ともに汗を流した同世代の外国人宅に招かれ、文化の違いに圧倒された。

「飲みたくて仕方なかったオレンジジュースが、がぼがぼ出てくる。この頃から海外への憧れが芽生え、私の中で軽井沢が切り離すことのできない場所になりました」

 軽井沢を語るときは、思い入れが強すぎるあまり、自ずと語気に熱が帯びる。それでも「我々世代が古き良き時代を語って、あれはダメこれはダメと一方的に言うだけでは、町の発展のためにならない」と冷静さを忘れない。

「自然環境を維持しつつ町を発展させていくのに、どう折り合いをつけるか。これは難題ですね」

 大学卒業後、商社勤務を経て1970年、マーガリンやチョコレートなどの製菓材料をつくる日新化工に入社。カカオを直取引するため、中南米、西アフリカ、東南アジアと、主要生産国の工場をくまなく回った。

「カカオの相場が上がった途端、船積みしてくれなくなる取引先もある。会って話して人柄を見て、お付き合いする会社を判断するのが仕事でした」

 経営サイドに回っても、人を大事にすることだけは一貫した。

「今は情報社会だけど、結局は人の心。感情は数字や画面で表せない。それはこの先も変わらないと思うし、変わってほしくないですね」

 夏はばらばらにやってくる3人の子どもの家族も、正月だけは一堂に会する。3世代16人が集まって、軽井沢で過ごすのが恒例だ。

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