【軽井沢人物語】大賀ホールの歴史とともに、軽井沢少年少女合唱団を指導し20年
ソプラノ歌手 高島 敦子 さん
2005年の軽井沢大賀ホール開館を機に誕生した「軽井沢少年少女合唱団」を当初から指導する。東京の「シュナイト・バッハ合唱団」で親交のあった大西泰輔さん(15年まで同ホール支配人)から、「今度軽井沢にホールができるから」と子どもの指導を頼まれ、不安もあったが「楽しそう」と二つ返事。練習のある日曜日を中心に毎月数回、住まいのある東京から軽井沢へ車を走らせる。
「あっという間の20年。小さかった子が成人し、定期演奏会を裏方として手伝ってくれているのを見て、時の流れを実感します」
ウィーン少年合唱団の歓迎演奏で初舞台を踏んで以降、多くのオーケストラや音楽家と共演した。ホール開館10年を記念した「春の音楽祭」では、谷村新司さんとともに「サライ」「いい日旅立ち」を歌った。
「公演後の写真撮影で、谷村さんが『ブロッコリーって言ってごらん』と、子どもの自然な笑顔を作ってくれた。それからみんなで撮るときは『ブロッコリー』が合言葉です」
現在団員は年長児〜高校生の35人。上級生が下の子を見守ってくれるムードが根付いていて「私の手の届かないところをフォローしてくれる」。本番できりっと切り替わる子どもの顔つきには毎回驚かされる。
「あの顔を見るのがやっぱり嬉しいですね。練習のときからやってよ、と思うときもありますけど」
栃木県宇都宮市出身。四六時中歌っている子どもで、両親に促され地元の合唱団に小学3年から所属した。東京藝術大学大学院修士課程独唱専攻を首席で修了後、数々のオーケストラやオペラにソリストとして出演。ソロや歌仲間4人のユニット「彩美歌(ayamika)」としても活動している。8月のセイジ・オザワ松本フェスティバルには、東京オペラシンガーズの一員として出演する。
声楽家としてステージに上がるときは「自分に集中すればいいので気持ちは楽ですね。(軽井沢少年少女合唱団は)いかに一人ひとりが力を発揮できるか、いろんなことを考えないといけない」
プロ野球観戦が趣味。巨人ファンで年に数回は球場にも足を運ぶ。3年後、20回を迎える合唱団の定期演奏会は「OB・OGも集めて盛大に」と思い描いている。