佐藤 万里子 さん

ph_201506_01.jpg 佐藤 万里子 さん
 型を取った石膏の中にガラスを入れ電気炉で加熱する「キルンキャスト」と呼ばれる手法で、タオルや手袋、Yシャツなど、身近にある"やわらかいもの"をガラスで表現する。最初にモチーフにしたやわらかな素材は、看取った母の頭を支えていた枕だった。
「頭の重みでへこんだ部分をみていたら、何とも言えず悲しくなってきて...。その気持ちを表現したいと思ったの」
 そのときの作品は1996年「日本のガラス展」で、最高賞にあたる日本ガラス工芸協会賞を獲得し高い評価を得た。
 東京藝術大学美術学部工芸科(1963年卒業)では鍛金を専攻。在学中、先輩に誘われカガミクリスタルの工場を見学し、ガラスができる過程を初めて目にした。熱した金属を何度も叩いて形作っていた佐藤さんにとって、息を吹き入れ一瞬で形になるガラスは、新鮮で魅力的だった。
「1400℃を超えて真っ白になったガラスがあまりに美しく、感激しました」  卒業後、佐々木硝子デザイン部勤務を経て1982年に独立。埼玉県朝霞市にガラス工房を設立した。当初から一貫し、作品には藍色を用いている。出身地の徳島県で曾祖父が、染料となる藍玉を作っていたことも影響しているが、実のところ「他の色は調合が難しいんです。藍色は酸化コバルトを溶かせば簡単に作れる。藍の縞模様を重ね合わせ、揺らぎを表現する"モアレ"に今ははまっています」
 軽井沢に引っ越したのは2000年。木々の葉が落ちた冬、山荘の北の窓から見えた浅間山が購入の決め手だった。移住の翌年から毎夏、追分のぎゃらりい青で展覧会を開いて今年で15回目。デザイナーの夫佐藤允弥(まさひろ)さんの遺作と、ガラス仲間の上島あい子さんの作品を合わせて展示する(8月6~21日)。
 允弥さんは今年2月、家の凍結した庭で転倒し肋骨7本を骨折。2週間の入院の予定が、持病の間質性肺炎が悪化し入院3日目で亡くなった。この春、スケッチを兼ねた長崎旅行を2人で計画していたが、それも叶わなかった。
「本人も私も想定外でした。3カ月経って整理も一段落。三人展に向けようやく制作を再開したところ」と前を向く。止まっていた工房の空気が、ゆっくりと動き出した。

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