ギタリスト 寺内タケシ さん

ph_201403_01.jpg 寺内 タケシさん
エレキギターの第一人者として知られ「エレキの神様」の異名を取る。初めて手にしたギターは5歳のとき、学徒動員で出征した兄が家に置いていった、質流れ品のアコースティックギター。師匠は鶴岡流小唄と草紙庵流三味線の家元の母だった。
「作法が少しでもなっていないと、竹の物差しでパーンと叩かれてね」。
 師匠と合奏すると、三味線の音の方がはるかに大きく、ギターの音はかき消された。「それが悔しくて、ギターの音を大きくしようと思った」。
 電話局で払い下げの受話器のコイルを譲り受け、ギターの6つの弦にそれぞれ取り付けて弾いてみると「それほど大きい音とは言えなかったけど、良かったですね」。エレキギターとの出会いだった。
 関東学院大学在学中に、ウエスタンバンドを組んで横浜のクラブや横須賀の米軍キャンプで演奏。1963年には日本初のエレキバンド「寺内タケシとブルージーンズ」を結成した。ベートーヴェンの『運命』や日本の民謡『津軽じょんがら節』をアレンジするなど、数々のヒット曲を生み出し、日本レコード大賞編曲賞など多くの賞を受賞。49ヵ国で公演を行うなど、世界にもファンが多い。 1960年代にエレキブームが起こると、「エレキは不良の楽器」という風潮が高まった。地方ではエレキギター禁止条例ができ、全国の高校生から「もう大人は信じられない」という手紙が届いた。そこで「エレキギターの素晴らしさを証明したい」と、全国の高校を回る「ハイスクール・コンサート」を開始。これまでに約1600校で演奏した。
 軽井沢はホテルのコンサートなどで、これまでに何度か訪問している。印象について尋ねると「なんか故郷って感じ。空気が全く違うね」。
 3月1日、軽井沢大賀ホールであった町民音楽祭に出演。ホールを町に寄贈したソニーの元名誉会長・大賀典雄さんとは、ギターのエコーマシンを共同で開発するなど親しい間柄だった。マシンはこの日の音楽祭でも使用。「大賀さんも喜んでくれていると思います」とMCで話した。
 ギターを手にして今年で70年。座右の銘は「ギターは弾かなきゃ音が出ない」。何事も行動しなければ始まらないという意味が込められている。この言葉を公演の終わりに残し、エレキの神様は「また会おう」とステージを後にした。

関連記事