東京都テニス協会常務理事 軽井沢会委員 太田 和彦 さん

人物語DSC_0001.jpg 東京都テニス協会常務理事 軽井沢会委員 太田 和彦 さん
 2005年から毎春開催している「軽井沢フューチャーズ・テニストーナメント」(今年は5/29~6/4)のディレクターを務める。若手の男子プレーヤーが海外へ遠征しなくても、ポイントを得られるようにと、軽井沢にゆかりのあるテニス仲間で立ち上げたのが始まりだ。
 レフェリーやラインズマンのアレンジ、宿泊場所を予約しないで来た海外選手の宿の手配など「毎年、試合以外の雑務に追われています」。
 自身のテニスの腕前も相当なもの。ここ20年は、年代ごとのカテゴリー上位プレーヤーで競う「全日本ベテランテニス選手権」に毎年出場。53、57歳のときシングルス、ダブルスともに、日本ランキング4位に入ったこともある。「全日本チャンピオンに一度はなってみたいね」と目標を口にする。
 祖父は昭和初期に活躍した、テニスプレーヤーの太田芳郎氏(1900-94)。結核で長期療養していた父に代わり、面倒をよく見てくれた。小学生の頃は、北軽井沢に別荘があり、草軽鉄道で一緒に訪れた。
 「『学校より山から学ぶことの方が多い』というのが教え」と、地元の子どもと、石を投げて落とした蜂の巣から蜂の子を採って食べたり、滝壺で岩の下を探ってヤマメを手掴みしたり...遊びを通じて、自然から多くを吸収した。
「パンツ一丁で、唇を紫色にして泳いでいました。東京では考えられない」
 芳郎氏が長年、東京ローンテニスクラブ(天皇皇后両陛下は名誉会員)の支配人を務め、父が聖心女子大テニス部(美智子さまがキャプテン)の顧問をやっていた縁で、皇室とも繋がりがある。浩宮さまとダブルスを組んで、両陛下と対戦したことも。
 工房で手作りした革細工や、現地で買い付けたアメリカンインディアンジュエリーを販売する店舗を、旧軽井沢で40年以上営業している。本店の「グリーングラス」は、ジョン・レノンも常連だった。ある日、息子のショーンの手を引き、嬉々とした表情で訪ねてきた。
 「『ショーンが(諏訪神社の)相撲大会で勝ったんだ。ベルトを作ってほしい』と言うから、<SEAN SUMO CHAMPION>と革に彫りましたよ」。
 1952年生まれ。現在は一年のほとんどを軽井沢で暮らす。コートが使えず、練習相手もいない冬は、片道1時間かけ伊勢崎まで行くことも。トーナメントの準備に、自身の練習と、忙しい春がまたやってきた。

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