日本画家 林楷人 さん

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自然から刺激を受けとり作品に「『よじれ』を表現したい」

 出生は神奈川県だが、父の転勤のため、少年時代は神戸、奈良、京都と関西圏を転々とした。絵を描くのが好きで、京都市立日吉ヶ丘高校(現:銅駝馬美術工芸高校)美術工芸日本画科で学ぶ。美大へは進まず、慶應義塾大学文学部に進学した。

「絵はどこまでも感覚的な世界なので、対極にある論理の哲学を学びたくなったんです」。描いていると、自分を客観的に見なければいけないことも多く、「頭の中を整理整頓するのに(哲学を学んだことが)役立っています」。

 軽井沢が好きな父の勧めもあり1991年、30才で同地へ移住。自宅に隣接するアトリエで日々、作品と向き合っている。

 「季節ごとの色の変化は、都会の住宅地ではなかなか味わえないですし、自然からは刺激を受けていますね」

 浅間山は主要なモチーフの一つ。「浅間大焼」は、火山雷をともなって立ちのぼる噴煙を意匠化し、はっきりした輪郭の中に様々な色を落とし込み、ダイナミックに描き出した作品。目の当たりにした2004年9月の中規模噴火をモデルにしている。

「一晩中、山鳴りが聞こえていて恐かった。あのときの自然の猛威を描きたかった」

 ドレス姿の女性の絵画を金属製の格子で囲んだ立体作品「管理・維持・鑑賞」は2015年、岡本太郎現代芸術賞展で入選。清掃員の格好で、観音開きの格子を開き、絵画の上を拭き掃除するパフォーマンスも話題を集めた。

 「美術館が倉庫で厳重に作品を保管しているとき、鑑賞者は絵を見ることができません。清掃するという維持行為の瞬間が一番見やすい状態になるという、皮肉を表現しました」

 声楽家の妻と中学生の息子と3人暮らし。本名は大林高基。楷の木の幹のように、真っすぐな気持ちで作品に取り組もうと、20代のとき、雅号に思いを込めた。大林から「大」の字を省いたのは、「小さく始めようかなと」(笑)。

 今夏、中軽井沢のギャラリー桂で開くグループ展に参加予定。

「私たちの頭の中って、常に過去・現在・未来が混在して、よじれた状態にある。表面的な現象を切り取るのではなく、よじられた異質なものを組み合わせた作品を作りたいですね」

 自然から刺激を受けて生み出される、新たな表現に注目したい。


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