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軽井沢人物語

日本木琴協会会長 朝吹 英世 さん

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演奏研究や交流通じ、
日本マリンバ界の活性に寄与


 日本の木琴演奏の先駆者で、父の朝吹英一さん(1909-93)の跡を継ぎ1993年から現職。会員はプロ、アマ関係なく全国に約1500人。マリンバの奏法指導や研究、その成果を発表する演奏会を主催し、会員の交友の場を提供している。全国約20の支部から選ばれたメンバーが集まり演奏する「全国選抜マリンバ大会」は今年70回目。「NHK紅白歌合戦」と同じ回数だが、「私たちの方が2カ月くらい早く回数が増える」のが自慢だ。

 マリンバの呼び方が主流になった時代の流れにあわせ来年1月、会の名称を「日本マリンバ協会」に変える。

 「『マリンバ』とネット検索しても、協会のホームページが出てこない。マリンバに関心がある人の窓口になれるよう変更を決めました」

 1954年生まれ。父が建てた軽井沢の別荘を、6歳から訪れる。クーラーのないクルマに5〜6時間揺られることは苦痛だったようで「軽井沢に着けば涼しくなるという一心で、耐え忍んでいましたね」。

 中学3年の夏の終わり、別荘近くを自転車で走行中、チェーンが外れた反動で前方へ投げ出された。腹部の大動脈を損傷し、右の腎臓が半分破裂する大ケガを負った。木家医院で緊急手術し、佐久総合病院に入院。退院したとき仰ぎ見た浅間山には、雪が積もっていたのを覚えている。

「2学期を全休しました。父に習っていたマリンバも辞めて、そこからは受験勉強一本。マリンバを再開したのは、父が亡くなった年。40を過ぎてからでしたね」

 本業はビジネスマン。横浜ゴムグループのゴルフ用品メーカー「プロギア」の立ち上げから、商品の企画・開発、プロモーションに携わった。

 「業界参入当時、クラブのヘッドは柿の木。どんどん軽くなっていく技術革新の変遷を見てきました」

 父英一さんが1929年、日本人として初めて作曲した木琴のオリジナル曲のタイトルは「軽井沢の美人」。美人が誰を差すかは「聞きそびれてしまったんです。ただ、父の青春時代の軽井沢は、欧米の方が多かったので、海外の人じゃないかと思うんです」。

 軽井沢集会堂で8月24日に開く演奏会「ホリデイ・イン・カルイザワ」は、今年16回目。10数組約40人が出演し、英一さん作曲のマリンバ曲などを奏でる。英世さんも「軽井沢の美人」などを演奏する。
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