【軽井沢人物語】軽井沢ルヴァン美術館副館長 木田 三保 さん

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世代を超えた家族のつながりは、祖父西村伊作の遺した宝物

 いとこ達に着いていくのに必死だった朝霧のなかのサイクリング、川に降りてクレソンを採ったときの水の冷たさ、いとこ達と競うように頬張った山屋の食パン――。幼い頃から夏を過ごした軽井沢には、たくさんの思い出があふれている。

 軽井沢会テニスコートのほど近く、木に囲まれるように7棟のコテージが点在する。「文化学院」を創立した自由思想家で祖父の西村伊作(1884-1963)が、家族のために築いたこの場所は「海外で暮らす叔父、叔母、いとこ達が入れ替わり立ち替わりやってきて、みんなが揃う場所でした」。

 多いときには15人ほどが食卓を囲むこともあり「伊作を中心とした大人のテーブルと、大ども、中ども、子どもと、いとこのテーブルが年齢ごとに分かれてもう賑やかそのもの」。

 軽井沢で慎ましく暮らした外国人宣教師に倣い<建物は質素でも自然に囲まれた生活こそ贅沢>とした、伊作の考えを代々受け継いでいる。

「今はあっという間に木を伐って更地にして、立派な家が建ってしまう。どんどん様変わりしていますね」。

 建築家の坂倉準三と伊作の次女ユリの長女として生まれる。米国ミシガン州のクランブルックアート&クラフトスクールを卒業後、ニューヨークの建築家マルセル・ブロイヤーの事務所に勤務。帰国し子育てが一段落したタイミングで、母が文化学院に立ち上げたデザイン科で「カリキュラムを作ったり、私自身も教えました」。

 軽井沢ルヴァン美術館の運営に、1997年の開館当初から携わる。夏を中心に、多彩なコンサートやワークショップを企画し「ここに来たら知り合いと会える、サロンのような存在を目指しています」。

 ことしの企画展では坂倉ユリにスポットをあて、1930年代のパリを中心とした建築家や芸術家との交流を紹介。岡本太郎、脇田和ら親交のあった作家の油絵をモチーフにした、ユリのタペストリー作品を展示する。

 伊作の9人の子のうち存命なのは、シアトルで暮らす106歳の四女ソノさん1人。今は木田さんら伊作の孫、ひ孫、玄孫世代が中心に、軽井沢で交流を深めている。

「このつながりこそ、伊作が遺してくれた宝物。これからもずっと大切にしていきたいですね」

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