【軽井沢人物語】養護教諭の職の向上、健康教育の充実にまい進した48年

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女子栄養大学名誉教授
三木 とみ子 さん

養護教諭の職の向上、健康教育の充実にまい進した48年

 都内の公立小学校の養護教諭(保健室の先生)として1967年から27年間勤務。子どもを待つだけの「受け身の保健室」から、積極的に教室へ出向いて健康教育を行う「攻めの保健室」運営を心がけた。

 HIV感染が急激に広がった90年代前半、差別や偏見をなくそうと、エイズの正しい知識を授業で伝え、学んだことを子どもたちが劇にし保護者や地域の人へ発信した。当初は「攻めの保健室」に校内の風当たりも強かったが「楽しく健康教育をしていくうち、子どもが変わるんですよ。すると保護者も変わって、教員の見る目も変化していきました」。

 先進的な取り組みが注目され、関係者が文部省に推薦し、95年から教科調査官・メンタルヘルス教育専門官に就任した。審議会を通じて現場の課題を行政に届け、養護教諭のキャリアアップや環境整備の法改正を働きかけ実現した。

 「今は養護教諭から校長や教頭などの管理職に登用されるケースも珍しくありません。健康をテーマに学校全体を見られるし、教員のメンタルヘルスケアもできるので、実は管理職に適している」

 後進指導のため2000年から13年間、女子栄養大学で教壇に立った。教科書にそった講義に終始せず、現場の経験を織り交ぜて伝えることで「みんな顔を上げ、目をキラキラさせて聞いてくれる」。

 13年に軽井沢に別荘を購入し、21年から定住。それまで住んでいた埼玉県のマンションは、半径500mにスーパー、病院、駅があり、生活に事欠かなかった。それでも軽井沢暮らしを選んだのは、自然に囲まれた環境と、人との繋がりがあったから。

 「遠慮せずにSOSを言い合えるご近所コミュニティーができつつある。基本は自分からコミュニケーションをとることですね」

 1942年生まれ。町社協のファミリーサポートセンターに登録して乳幼児を預かったり、自分より先輩の近所のお年寄りを誘って公民館活動に出かけたり、0歳から90歳まで世代を超えた交流を楽しむ。

 「『出会いは宝なり力なり』。人との繋がりは生きるための大事な要素。世話焼きばあばとして、これからも軽井沢ライフを楽しみたい」

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