【軽井沢人物語】世界を転々としルーツの日本へ 馬とともに「今」を生きる

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翻訳家(ドイツ語・英語・日本語)
浅井 マヤ さん

世界を転々としルーツの日本へ 馬とともに「今」を生きる

 4歳まで日本で過ごしたのち、整形外科医だった父の転勤でドイツへ移り住んだ。9歳のときに日本へ戻る話もあったが「友達もいるし絶対いや」と反発したところ、家族も理解し、在留が延長されたという。

 その後フランス、ノルウェーへと移り、アメリカ・ロサンゼルスでは最も長く、約20年間生活した。現地で映像制作会社を立ち上げ、ショートムービーやドキュメンタリー、CM制作に携わってきた。日本のテレビ局にアメリカのトレンドや話題を提供し、共同制作を行うこともあった。

「もともと冒険や未知のものが大好き。数カ月ごとに新しいメンバーとチームを組み、全く新しいテーマや場所で仕事をできるのが、私にはとても合っていました」

 2019年、「生まれた場所なのに知らないことが多すぎて、逆にエキゾチック」と、日本への移住を決意。約50年ぶりの日本生活は「本音と建前が理解できず最初は疲れましたね。でも日本語も戻ってきて、今はストレスなく過ごせています」。

 祖父母が暮らした吉村順三設計の別荘を受け継ぎ、夏は軽井沢を拠点に生活する。幼少期の日本の記憶は多くないものの、軽井沢の印象は鮮明に残っているという。

 「ドイツ人だった祖母は、家の脇を流れる川辺でクレソンを育てていました。毎朝摘んできては、カッテージチーズとトマトと一緒にライ麦パンに挟んでくれて...あの味は今でも忘れられません」

 4歳のとき、初めて馬に乗ったのも軽井沢。10代半ばで馬アレルギーを発症し距離を置いていたが、日本移住を機に再挑戦すると症状は出ず、「もう次の日にはクラブの会員申し込みに行っていました」と笑う。

 いまでは念願の乗馬用の馬を所有。「好きなことを仕事に」と、蹄の病気を改善するペーストなどを海外から仕入れ、販売するビジネスにも取り組む。

「人間は過去を悔やんだり、将来を心配したりしますが、馬は『今』を生き、『今』を求める生き物。馬と向き合うと、その時々のありのままの自分に出会えるんです」

 週4日は乗馬クラブへ足を運び、愛馬のバロンと触れ合う。軽井沢滞在中も、横浜にいるバロンに会うため何度も行き来するという。

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