【軽井沢人物語】常に弱者の視点で 地域づくりや奉仕活動に邁進
元スペシャルオリンピックス日本・長野理事長
荒木 武貴 さん
常に弱者の視点で
地域づくりや奉仕活動に邁進
国土計画興業(西武グループ)に1962年に入社し、主に軽井沢地域の別荘地開発に携わった。千ヶ滝西区で母とともに酒店を営んでいた久美子さんと68年に結婚。同区はまだ歴史が浅く伝統的な行事もなく「住民同士のつながりが薄い」と感じるようになった。区内に土地を借り、当時流行していたゲートボール場を独自に整備。高齢者が和気あいあいと競技を楽しむ光景に、 「集まる場所が一つあるだけで、みんなイキイキとして、風通しがよくなった」と、地域づくりへの思いを強くした。
やがてゲートボールの時間になると、店番の義母がシャッターを閉めて出かけるようになり、「自分が蒔いた種でもある」と85年に会社を辞め、酒屋を手伝う道を選んだ。
その後も、区の麻雀大会やどんど焼きを企画。単身高齢者らの困りごとを区内の有志が引き受ける「西区ボランティア会」(のちに地区社協へ移行)を立ち上げるなど、地域の交流の場と支え合いの仕組みづくりに尽力した。93年から約13年間、区長を務め、公民館建設のため、町との交渉や資金集めに奔走した。
以前から親交のあった細川護煕元首相の夫人で、スペシャルオリンピックス(SO)日本理事長を務めていた佳代子さんに声をかけられ、知的障害者のスポーツを支援する「SO日本・長野」軽井沢プログラムを2001年に設立。スキーやテニス、ゴルフ、陸上などのコーチを集め、自らも指導にあたり、国内や世界大会へ多くの選手を送り出した。
「一緒に体を動かしていたおかげで、自分も健康でいられたし、多くの人と出会え、楽しい経験をさせてもらえた」と笑顔を見せる。
1943年生まれ。上田市出身。頭で考えるより先に体が動くタイプ。車いすの観光客を見かけると、用事がなくても自然と声をかける。
「宿泊先や飲食店などで、段差やトイレの狭さに不便を感じている人は多い。国際親善文化観光都市の名に恥じないよう、どんな人にも優しく、快適に過ごせるインフラ整備が進むといい」
かつては多くの団体で要職を務めていたが、現在はほぼ退いた。それでもじっとはしていられない性分で、障害者のバリスタチーム「軽井沢ひまわり」の練習や、SOのスノーシュー、ボッチャの練習に顔を出すなど、軽井沢町内を飛び回っている。




