【軽井沢新聞6月号】作家の堀辰雄をしのび、謝意を表す 命日に初めての「辰雄忌」

 追分を愛した作家堀辰雄(1904〜53)の命日にあたる5月28日、浅間山泉洞寺で初めての「辰雄忌」の法要が行われた。桜井朝教住職の読経のなか、参列した地元住民ら約80人が本堂で焼香。その後、寺の墓地にある堀の愛した石仏に献花し手を合わせ、功績をたたえた。

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 堀は作家室生犀星の誘いで、1923年に軽井沢を初訪問。その後も療養を兼ねてたびたび滞在し、師である芥川龍之介や片山廣子、萩原朔太郎などの文学者と交流を重ねた。44年から追分に転居し、病床生活に入った。「美しい村」や「風立ちぬ」など、軽井沢を舞台にした多くの作品を残している。

 泉洞寺の石仏は、堀のエッセイ『大和路 信濃路』冒頭の「樹下」で、「右手を頬にあてて、頭を傾げているその姿がちょっとおもしろい」などと描かれ、その後も地域の人らに「歯痛地蔵尊」と呼ばれ親しまれた。2024年に生誕120年を迎えたのを機に、桜井住職が「追分や寺の存在を世に知らしめてくれた堀さんに恩返しがしたい」と追分区などに相談。同区も地域づくりのテーマに「文学と歴史の里づくり」を掲げていることもあり、賛同し実現した。

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 法要後、土屋三千夫町長が「樹下」を朗読し堀へ思いをはせた。参列した堀の養女の息子、菊地俊哉さんは、「素晴らしい天気の中で、清々しい気持ち」。堀が今なお多くの人から慕われていることに「祖母(堀夫人の多恵さん)の人柄も、(堀が今も愛される)一因になっていると思う」と話した。法要は来年以降も続けていく予定だ。

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