


ツタのからまる蒸留所の建物は?歴史あるポットスチルはどこへ…
メルシャン軽井沢美術館跡地の行方は?


西欧の薫りに満ちたミュージアムパーク
1995年、御代田町に「アートと自然と食が融合したミュージアムパーク」として開館したメルシャン軽井沢美術館。 既存のウィスキー蒸留所内にある樽貯蔵庫を、フランスの建築家、ジャン・ミシェル・ヴィルモットが改修・設計した美術館は16年の間に29回の展覧会を開催した。 展覧会にはフランスのRMN(フランス国立美術館連合)が協力し、ピカソやミロ、モネ、ルノワールなど数々の名画が並び、延べ90万人を超える来場者が鑑賞した。
大黒葡萄酒工場として造られたこの工場は、1962年に三楽オーシャンの傘下となり、オーシャンウィスキーを蒸留するようになった。
「軽井沢を訪れたショー師の故郷はスコットランド(曾祖父がスコットランド人)。ウィスキーは霧の流れる軽井沢がふさわしい」とアピールしていた。 これに由来し製造販売した「軽井沢」ブランドのウィスキーが好評だった。その後、メルシャンとなってからもウィスキー「軽井沢」は2000年まで蒸留していた。
2011年11月、閉館。文化を継承する企業を探すが...
ピーク時には年間約10万人が訪れたメルシャン軽井沢美術館だったが、収益環境が厳しいという判断が下され2011年11月に閉館した。
御代田町役場によると、文化的施設として継承してくれる企業をメルシャンに探してもらったがみつからず、メルシャン側から御代田町へ買ってくれないかという打診があったという。2013年3月に美術館や蒸留所などの建物18棟を含めた土地を御代田町開発公社が取得した。
「ちょうど役場の庁舎が老朽化し、耐震の問題もあって建て替えの話が進んでいたときで、候補地の一つになった」と建設課の小林靖さんは振り返る。文化施設の「エコールみよ
1995年、御代田町に「アートと自然と食が融合したミュージアムパーク」として開館したメルシャン軽井沢美術館。 既存のウィスキー蒸留所内にある樽貯蔵庫を、フランスの建築家、ジャン・ミシェル・ヴィルモットが改修・設計した美術館は16年の間に29回の展覧会を開催した。 展覧会にはフランスのRMN(フランス国立美術館連合)が協力し、ピカソやミロ、モネ、ルノワールなど数々の名画が並び、延べ90万人を超える来場者が鑑賞した。
大黒葡萄酒工場として造られたこの工場は、1962年に三楽オーシャンの傘下となり、オーシャンウィスキーを蒸留するようになった。
「軽井沢を訪れたショー師の故郷はスコットランド(曾祖父がスコットランド人)。ウィスキーは霧の流れる軽井沢がふさわしい」とアピールしていた。 これに由来し製造販売した「軽井沢」ブランドのウィスキーが好評だった。その後、メルシャンとなってからもウィスキー「軽井沢」は2000年まで蒸留していた。
2011年11月、閉館。文化を継承する企業を探すが...
ピーク時には年間約10万人が訪れたメルシャン軽井沢美術館だったが、収益環境が厳しいという判断が下され2011年11月に閉館した。
御代田町役場によると、文化的施設として継承してくれる企業をメルシャンに探してもらったがみつからず、メルシャン側から御代田町へ買ってくれないかという打診があったという。2013年3月に美術館や蒸留所などの建物18棟を含めた土地を御代田町開発公社が取得した。
「ちょうど役場の庁舎が老朽化し、耐震の問題もあって建て替えの話が進んでいたときで、候補地の一つになった」と建設課の小林靖さんは振り返る。文化施設の「エコールみよ
た」が近いということやコスト面を考慮し、2013年8月に、役場の庁舎の建築場所として決定した。
2015年10月25日に軽井沢蒸留所を一般公開した。蒸留所の最後の姿を見ようと訪れた人は約800人。蒸留所で活躍したポットスチルやマッシュタン、ウォッシュバックなどを見納めた。
ポットスチル、レンガなどこの場所の歴史を残す
2016年1月~3月末に蒸留所を解体し、現在は更地となっているが、美術館だった建物はそのまま残っている。庁舎は今年の9月に着工、完成の予定は来年12月。庁舎として使用する土地は全体の3分の1で、残りの土地の利用は決まっていない。
「企業誘致を行う予定だが、文化的なことに使ってもらえたらいいと思っている」と、企画財政課阿部晃彦さんは話す。庁舎は蒸留所の保存状態の良いレンガを組み入れたり、初代のポットスチルを新庁舎の敷地内に展示したりする設計だという。
今後は御代田町の文化ゾーンとして、この場所をどのように活用していけるかが課題となる。
2015年10月25日に軽井沢蒸留所を一般公開した。蒸留所の最後の姿を見ようと訪れた人は約800人。蒸留所で活躍したポットスチルやマッシュタン、ウォッシュバックなどを見納めた。
ポットスチル、レンガなどこの場所の歴史を残す
2016年1月~3月末に蒸留所を解体し、現在は更地となっているが、美術館だった建物はそのまま残っている。庁舎は今年の9月に着工、完成の予定は来年12月。庁舎として使用する土地は全体の3分の1で、残りの土地の利用は決まっていない。
「企業誘致を行う予定だが、文化的なことに使ってもらえたらいいと思っている」と、企画財政課阿部晃彦さんは話す。庁舎は蒸留所の保存状態の良いレンガを組み入れたり、初代のポットスチルを新庁舎の敷地内に展示したりする設計だという。
今後は御代田町の文化ゾーンとして、この場所をどのように活用していけるかが課題となる。
部員一人の軽井沢高校野球部
新入部員はどうだった?
創部67年、過去には夏の県大会でベスト16の成績を残したこともある軽井沢高校野球部。2012年から部員が9人に満たない状態が続き、2015年夏に3年生が引退すると、部員は1名になってしまった。
昨夏から唯一の野球部員となった磯山洋介君(現3年生)は、マネージャーの小宮山佑茉さん(現2年生)、部長・監督・顧問を務める教師3名の計5人で、毎日放課後の練習を重ね、他校との連合チームで試合に出場してきた。一人の時の練習はゴロ捕球やファーストにネットを置いての送球、マネージャーが球を入れてマシンでのバッティングなどが中心だ。
昨夏から唯一の野球部員となった磯山洋介君(現3年生)は、マネージャーの小宮山佑茉さん(現2年生)、部長・監督・顧問を務める教師3名の計5人で、毎日放課後の練習を重ね、他校との連合チームで試合に出場してきた。一人の時の練習はゴロ捕球やファーストにネットを置いての送球、マネージャーが球を入れてマシンでのバッティングなどが中心だ。
「チームスポーツなのに、一人でやれることは限られている。なんで野球をやっているのかと思う時もありました」と磯山君。
新入部員獲得を目指し4月に行われた部活紹介では、新入生たちの前で磯山君を中心に2人の教師と本番の練習さながらにノックを披露すると、大きな歓声が沸いていた。さらに磯山君とマネージャーは昼休みに教室を回ってアピール。そんなアツイ勧誘活動の結果はどうだったのか。
ゴールデンウィーク明けのある日、練習中のグラウンドを訪れると、そこには真新しいユニフォームを着て、ベースを運ぶ一人の部員の姿が。1年生の山口侑也君。部活紹介で野球部のパフォーマンスを見て、入部を決めたという。
「部活紹介の時の躍動感を見て、格好いいなと思って入ろうと思いました」
山口君の入部により部員は2名になり、キャッチボールやフライの処理など練習メニューが増えた。さらに女子マネージャーも一人加わった。
磯山君は「一人だけだが入ってくれて、嬉しかった。これから一緒に頑張って夏の大会で勝ちたい」と意気込んでいる。
そんな先輩の気持ちを聞き、山口君も「下手な自分にやさしく、時に厳しく指導してくれる格好いい先輩。先輩が夏に引退して一人になっても、軽井沢高校の野球部が廃部にならないように頑張ります」と話す。
今年も他校との連合チームで夏の大会出場を模索している。最後の夏に向け、スタートラインに立てるかまだ分からないが、磯山君は「自分がこの夏に辞めた後、山口君は一人になってしまうけど、あきらめずに続け高校生活の野球を楽しんでほしい」と後輩にエールを送る。二人のアツイ野球生活が始まった。
新入部員獲得を目指し4月に行われた部活紹介では、新入生たちの前で磯山君を中心に2人の教師と本番の練習さながらにノックを披露すると、大きな歓声が沸いていた。さらに磯山君とマネージャーは昼休みに教室を回ってアピール。そんなアツイ勧誘活動の結果はどうだったのか。
ゴールデンウィーク明けのある日、練習中のグラウンドを訪れると、そこには真新しいユニフォームを着て、ベースを運ぶ一人の部員の姿が。1年生の山口侑也君。部活紹介で野球部のパフォーマンスを見て、入部を決めたという。
「部活紹介の時の躍動感を見て、格好いいなと思って入ろうと思いました」
山口君の入部により部員は2名になり、キャッチボールやフライの処理など練習メニューが増えた。さらに女子マネージャーも一人加わった。
磯山君は「一人だけだが入ってくれて、嬉しかった。これから一緒に頑張って夏の大会で勝ちたい」と意気込んでいる。
そんな先輩の気持ちを聞き、山口君も「下手な自分にやさしく、時に厳しく指導してくれる格好いい先輩。先輩が夏に引退して一人になっても、軽井沢高校の野球部が廃部にならないように頑張ります」と話す。
今年も他校との連合チームで夏の大会出場を模索している。最後の夏に向け、スタートラインに立てるかまだ分からないが、磯山君は「自分がこの夏に辞めた後、山口君は一人になってしまうけど、あきらめずに続け高校生活の野球を楽しんでほしい」と後輩にエールを送る。二人のアツイ野球生活が始まった。
軽井沢JC海外青少年国際交流事業へ地元中学生を派遣

軽井沢青年会議所(JC)は4月18日、青少年事業としてマレーシア・ペナン島で開催されたアジア青少年国際交流に、軽井沢中学3年の鴨志田巽君を派遣したことを報告した。鴨志田君は3月16-22日の一週間、ペナン島を訪れ香港、韓国、マレーシアなどから集まった13~15歳の75名と交流、ホームステイなどを体験した。初の海外で言葉や文化の違いに戸惑いながらも、唯一の日本人参加者として、日本の思いやりやおもてなしについて英語で発表した。
「みんなに積極的に話しかけてもらえて、日本に対して好印象の人が多いと思った。言語や文化、世界の広さを感じて、海外への関心が高まった」と感想を述べた。軽井沢JCでは今後も同事業の継続を検討している。
ヴォーリズ建築文化全国ネットワーク
第10回は軽井沢で開催
睡鳩荘など軽井沢に多くの建築物を残したW.M.ヴォーリズ。その建築文化を継承・研究する「ヴォーリズ建築文化全国ネットワーク」が、軽井沢で第10回記念フォーラムを開催する。6月4日(土)は関西学院院長・田淵結さんによる講演会「ヴォーリズの軽井沢;the land of "comfort and joy"」をユニオンチャーチで。
また軽井沢ナショナルトラスト会長の大久保保さんが「軽井沢この10年のヴォーリズ建築」と題して報告会を行う。5日(日)には「歴史の道とヴォーリズ建築」の見学会を開く。第1回目は2007年に軽井沢で開催し、その後、神戸や近江八幡、北見などで行ってきた。問い合わせTEL090-1056-1226
地域を学ぶ「軽井沢学」の授業、軽高で始まる
軽井沢高校グローバルスタディコースの3年生18人が今年度より週に3時間、軽井沢の文化や歴史について学ぶ「軽井沢学」の授業に取り組んでいる。地域の理解を深め、よりよい地域づくりに貢献する人材を育てるのが目的だ。4月は一彫堂の職人が同校を訪問し、生徒に軽井沢彫製作を指導。28日は一彫堂の工房や万平ホテルを訪れ、軽井沢彫がどう作られ、使われているか見学した。佐藤諒太さんは「こつこつ取り組む作業が好きで、職人の仕事にも少し興味がある。まずは、軽井沢彫のお箸などを実際に使ってみたい」と語った。


- No.149(2015年11月)
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- No.158(2016年8月)
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- No.160(2016年10月)
- No.161(2016年11月)
- No.162/163(2016年12月合併号)
- No.164(2017年2月)
- No.165(2017年3月)
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