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軽井沢新聞 トピックス
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お年寄りらの証言集め本に 85人から聞き取り

1805_topics_kikitori.JPG 委員会メンバーの代表が4月27日、できあがった本を町長に手渡した。
 軽井沢町のお年寄りらから、昔の暮らしぶりなどを聞いて回っていた「軽井沢・きき取り物語実行委員会」が、集めた証言を「軽井沢きき取り物語〜じいばあからの贈り物〜」にまとめ、3月末に出版した。

 実行委員会のメンバー7人は2015年4月から、85人に聞き取り。本はB5判166ページで、「自然環境と災害」「日常のくらし」「なりわい」「集落のようす」「子どものくらし」「伝統行事」の6章からなり、テーマに合った様々な証言や、個人所有の昔の写真なども借りて掲載した。

 1931年生まれの旧軽井沢の女性は、食糧難の戦時中などに行われていた「ウサギ狩り」について語っている。浅間山の六里ヶ原で、子どもが横一列になって斜面を下り追い立てたウサギを、大人が捕まえて食料にしたという。

 本は地元の子どもたちにも読んでもらおうと、町内の小中学校、高校に一冊ずつ寄贈。町の図書館にも置かれる予定だ。メンバーの一人山岸征男さんは「お年寄りの話から、今の軽井沢とは別の顔が見えて来る。軽井沢が辿ってきた道を知って、将来に役立ててほしい」と話した。Amazonで購入可能。1620円。

世界で戦えるトップ選手育成へ

カーリングエリートアカデミー開校

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 スポーツコミュニティー軽井沢クラブは5月6日、中学生以上の個人を対象に、次世代のトップカーリング選手を育成する「カーリングエリートアカデミー」を開校した。

 全国から募集を募り、日本の大会で実績を持つ女子8名男子5名を選出。1年間氷上の練習(約100回)やジムでフィジカルトレーニング(約60回)などに励む。

 この日軽井沢風越公園総合体育館で開校式が行われ、軽井沢カーリングクラブジュニアクラスに所属する浅間さくらさんは「トップクラスの指導を受けて世界ジュニアに出場したい」と意気込んだ。

 同アカデミーは長野県から世界のトップを目指す「カーリング未来プロジェクト」の一環で、シチズングループや大東建託株式会社が協賛している。平昌五輪カーリング男子日本代表SC軽井沢クラブ元コーチの長岡はと美さんをヘッドコーチに、「SC軽井沢ク」の選手らがアドバイザーとして参加する。

軽井沢で誕生 寒冷地の稲作技術、 現代に再現

1805_topics_hoon.JPG 苗床に種もみを蒔く市村さん。
 寒冷地に適した稲作技術で、軽井沢から北日本各地へ広まった「保温折衷苗代」を再現しようと軽井沢町は4月22日、農産物直売所「軽井沢発地市庭」の敷地に整備した苗床(約2m四方)で「もみまき式」を開いた。同技術は1942年に軽井沢町の荻原豊次さん(1894-1978年)が考案。寒冷地の食料増産に寄与した功績が讃えられ、荻原さんは1961年には名誉町民に推挙されている。

 この日は、苗床に種もみをまいた上から、砂、焼きもみがらをかぶせ、保温用に油紙で覆った。苗が十分に生育したら田んぼに移し替える。収穫した米は、学校給食の一部に使われるという。

 10代前半まで「保温折衷苗代」を手伝ったという油井の市村一さんは「今から考えると大変な作り方だが、当時はこの方法でないと育てるのは難しかった。懐かしい」と振り返った。

小学生が美術館などを取材 ガイドブック配布

1805_topics_museum.JPG 軽井沢町の施設では軽井沢ニューアートミュージアム、軽井沢絵本の森美術館などが掲載されている。
 佐久地域の小学生13人が地元の博物館や美術館を取材してまとめた「信州こどもミュージアムガイドブック」が4月26日に軽井沢中部小学校に配布された。取材した同学校の児童5名が橋詰文彦校長に手渡した。生徒からは「(施設の)魅力などを文章で説明するのが難しかった」「皆に読んでもらって、行ってもらいたい」などの声が上がった。

 同ガイドブック作りは長野県の地域づくりを目的とした活動を支援する「元気づくり支援金」を活用し、「佐久市こども未来館」館長のなおやマンさんが立ち上げた事業。20の施設をA5判オールカラー15ページで紹介し、手書きのイラストや文章で補足説明している。1万部印刷し、同地域の小学2〜5年生に順次配布。取材に協力した施設にも少量設置される。

発地の街道の名称 「浅間パノラマ通り」に

1805_topics_panorama.JPG あいさつする名付け親の金田さん。
 農産物直売施設「軽井沢発地市庭」前の通りの愛称が「浅間パノラマ通り」に決まった。公募で集まった344通の中から、軽井沢発地市庭管理運営協議会、沿線地区の関係者22人が投票で選考した。名付け親は、50年間毎年軽井沢を訪問しているという埼玉県の金田美佐子さん。愛称について「浅間山の全貌が見られる大好きな通り。訪れる多くの人に親しんでもらいたい」と話した。

ドイツから出生地の軽井沢へ、78年ぶり訪問

1805_topics_german.JPG 軽井沢サナトリウム跡地を訪ねたヤンさんと妻のメリアンさん。
 1939年7月に軽井沢夏期診療所で出生したドイツ人のヤン・ヘンペルさんが、78年ぶりに軽井沢を訪れた。ヤンさんの父はドイツの化学産業会社に勤め、1938から41年まで東京に駐在。毎夏3カ月は軽井沢の貸別荘で過ごし、そのときにヤンさんは生まれた。41年夏も貸別荘を予約していたが、世界情勢の変化で同年5月に帰国を余儀なくされた。

 ヤンさんが日本で過ごしたのは0〜1才。軽井沢での記憶はないが、母が遺した当時の日記などをもとに、ゆかりの地を訪ねた。軽井沢夏期診療所跡地(現万平ホテル従業員駐車場)や、母がプレーした軽井沢会テニスコート、1940年の夏を過ごしたNo538の貸別荘があった場所も訪ねた。ヤンさんは「生まれた場所に戻ってこれたことに感激している。とても嬉しい」と感慨深げだった。

西園寺公望の別荘が軽井沢に?

100年前の資材を生かして面影を残す

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 新軽井沢の上原暢さんは高校生の頃から、「西園寺公望の別荘を使った家」で暮らして来た。「約60年前、父が三笠の西園寺別荘を壊すと聞き、それを譲り受けて平屋の家にカグラを組んで乗せ、2階として使っていました」。その頃は資材が乏しい時代。高級別荘の良い材質のものは貴重だったから、壊されるなら地元で利用したとしても不思議ではない。

 西園寺公望といえば、明治末期から文部大臣等を務め、大正時代には最初の内閣として首相となった人物。この建物が本当に西園寺の別荘だったという証拠はないが、宮原安春著『軽井沢物語』には「秘書の原田熊雄が山本直良(三笠ホテル創業者)の親戚であることから三笠に別荘を造った」と書かれている。軽井沢町文化財専門委員の大久保保さんは「確証はないが、当時軽井沢が政治家の奥座敷だったことなどの状況から見ると、その可能性は高い」と話している。西園寺は政府の留学生としてフランスへ渡ったこともあり、西欧文化に関心が高いことも軽井沢との関係性が考えられる。

 上原さんは2月に家を新築したが、西園寺別荘の面影を一部だけでもとどめようと、2階の洋間の天井の梁をそのまま設えた。

軽井沢高校、就業体験丸一日に

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 軽井沢高校は、生徒が地元企業に出向き実践的な業務を行う「デュアルシステム」を5月から開始する。昨年度まで週に半日の実習だったが、3年目の今年は毎週金曜日に1日を通して実施。4月27日に生徒23人と保護者、宮坂雅昭学校長がそれぞれの企業と協定を結んだ。1日になったことで宮坂校長は「社会人として、より実践的な経験ができると思う」と期待している。万平ホテルで実習する伴優斗さんは「人と関わるのは苦手だが、接客を通して克服し、将来へ繋げたい」と語った。生徒を受け入れる企業は佐藤肉店や軽井沢プリンスホテルなど19施設。

発地市庭来場者50万人、オープンから2年

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 農産物直売施設「軽井沢発地市庭」を訪れた人数が4月7日、50万人(レジ通過人数)に達した。50万人目は、妻と二人の息子とブルーベリーの苗木を買いに来たという軽井沢町在住の松本祐樹さん。松本さんは「朝に妻と喧嘩して行くのを辞めようと言っていたが、来てよかった」と喜んだ。発地市庭は2016年4月にプレオープンし、同年11月には来場者が20万人を記録していた。

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