100年前の資材を生かして面影を残す

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 新軽井沢の上原暢さんは高校生の頃から、「西園寺公望の別荘を使った家」で暮らして来た。「約60年前、父が三笠の西園寺別荘を壊すと聞き、それを譲り受けて平屋の家にカグラを組んで乗せ、2階として使っていました」。その頃は資材が乏しい時代。高級別荘の良い材質のものは貴重だったから、壊されるなら地元で利用したとしても不思議ではない。

 西園寺公望といえば、明治末期から文部大臣等を務め、大正時代には最初の内閣として首相となった人物。この建物が本当に西園寺の別荘だったという証拠はないが、宮原安春著『軽井沢物語』には「秘書の原田熊雄が山本直良(三笠ホテル創業者)の親戚であることから三笠に別荘を造った」と書かれている。軽井沢町文化財専門委員の大久保保さんは「確証はないが、当時軽井沢が政治家の奥座敷だったことなどの状況から見ると、その可能性は高い」と話している。西園寺は政府の留学生としてフランスへ渡ったこともあり、西欧文化に関心が高いことも軽井沢との関係性が考えられる。

 上原さんは2月に家を新築したが、西園寺別荘の面影を一部だけでもとどめようと、2階の洋間の天井の梁をそのまま設えた。

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